2013年10月26日土曜日

Make it great or not, the choice is yours

America Expo(9/21)で配布した冊子「カガクシャネット 海外実況中継」より


3. 「 Make it great or not, the choice is yours」 (P6 - 8)
(ウィスコンシン大学マディソン校・教育学・若菜友子)



はじめまして。私の名前は若菜友子と申します。高校まで日本に住み、英語も中学校で習い始めたような、どこにでもいそうなごく普通の学生です。家族に留学経験者はいませんし、留学を考えたのも高校3年生になってから、という感じでした。そんな私ですが、この夏でアメリカで勉強するのも早7年目に入ります。

学部課程はアメリカ・アーカンソー大学フェイエットビル校で心理学を専攻しました。入学当初は国際関係学専攻だったのですが3年生になるころに心理学に変えました。心理学に専攻を変えてからは、社会心理学を専門としている教授のもとでリサーチ・アシスタントを卒業までの2年弱務めました。2010年の8月から2011年の5月まで在籍したハーバード大学の教育学大学院では心理学と人間発達を専攻し、特に心理学的アプローチから第二言語教育と国際教育について勉強してきました。そこで出会った友人や先生方は驚くほど優しく努力家で高い志を持っており、これほどまでに自分のやる気を引き出してくれる環境が他にあるだろうかと感動したものです。その一方、アメリカで修士課程のプログラムというと2年のものが多い中、ここではそれが一年と密であったこと、またやはりそこはハーバードというだけあって、勉強は本当に大変でした。そして現在はと言いますと、2012年の8月より、ウィスコンシン大学マディソン校でカリキュラム&指導学部の博士課程に在籍しています。いわゆるパブリックアイビーのうちの一校で、いくつもの湖に囲まれたとても美しい街にあります。博士課程ではひきつづき第二言語習得と国際教育について研究し、最終的には日本でのカリキュラム作りに生かしたいと考えています。将来、第二言語教育と国際教育二つを、両方とも効率的に身につけられるような学習体験を学生に提供するための学校環境づくりのお手伝いをすることこそが、私の究極的な教育現場への貢献の仕方です。

文系学生としての学校生活

それでは、文系学生としての大学院生活についてお話ししていきたいと思います。学校によって異なる部分も多いと思いますので、参考程度に読んでくださると嬉しいです。

現在博士課程に在籍しているウィスコンシン大学マディソン校と修士課程で勉強したハーバード大学では、学校と学位の種類こそ違うものの、授業の進め方自体はとても似ていると感じています。ここでは、ハーバードにいたころの授業の様子を簡単にご紹介したいと思います。

修士プログラムでは「授業を取ること」がメインで、学生が個人で研究に取り組むようなことはありませんでした。また、博士課程の学生と違い、修士課程では授業料や生活費を賄えるTA(ティーチングアシスタント)やPA(プロジェクトアシスタント)といった仕事をもらえることも少ないので、そのぶん博士課程の学生よりも学期あたりの取る授業の数が多い傾向があります。ハーバードでの一年間、私は秋・春学期それぞれに4つずつ、年間で8つ、32単位の授業をとりました。ちなみに、理系の学生がラボ・研究室で実験・制作に取り組んだりする一方、文系の授業にはそういったものがなく、あくまでも授業は教室で文献を読んでのディスカッションというのがほとんどです。

大教室でのレクチャーと小さい教室でのセクションとに分かれた授業もあります。有名な先生の大人気授業では一クラスに180人くらい学生がいましたがこれはかなりまれなケースで、たいていの授業では20~30人といったサイズです。どの授業も主に先生が講義をし、学生はどちらかというとノートを取るのに集中する「レクチャー」と、クラスを10~15人程度のグループにわけて行う日本でいうとゼミのような形態の授業の「セクション」の組み合わせでできていました。セクションは、レクチャーの直後の場合もあれば、一週間のいろいろな曜日・時間帯に振り分けられて自分に都合のいいセクションにサインアップすることもできました。各授業で出される課題のリーディングはレクチャーよりもセクションで話し合ったり、内容確認することが多かったように思います。ちなみにわざわざレクチャーとセクションを分けていない授業では、その3時間の中でグループに分かれて話し合う機会が何度もありました(つまりディスカッションのない授業はないということですね)。各セクションではたいていの場合、以前その授業をとったことのある博士生がTAを務めていました。TAの責任は重く、ときには先生の代わりにペーパーを読み添削・採点をします。

授業は、2時間なら休憩なしのことが多かったです。3時間のレクチャーの場合には、2時間終わったところで5分強の休憩が入りました。雰囲気はとてもカジュアルで、コーヒーやジュースの持ち込みはもちろんOK。授業が始まる直前まで軽い食事を持ち込んで食べている人もいました。先生も、かなりの頻度で飲み物を片手に授業に来ていたと思います。中には、わざわざクラスのためにレクチャーやセクションにお菓子を持ってきてくれる先生やTAも!このあたりは、日本ではありえない話かもしれません。授業では、パワーポイントを使う先生が多かったです。ただ、先生によって、このファイルをインターネットに載せてくれる先生とそうしてくれない先生がいました(後者の場合は、授業中に必死でノートをとります)。ノートにペンで書くよりも、ノートパソコンを持ってきてノートをとる学生が多かったように思います。

実際のところ、どれくらいの英語力が必要?

私が学部時代をすごしたアーカンソー大学は、日本で言えばちょっと地方の国立大学といった位置づけでした。それでも、求められる英語力はかなり高かったと思います。そもそも、英語という外国語で先生・クラスメートの話を聞き、頭の中で翻訳する作業をせずにそのまま理解し、その反応を瞬時に英語でするのですから、日本語が母国語の私たちにとって最初はとても大変です。例えばリーディングでいうと、修士・博士課程では本を100ページ程度、専門論文を8~10以上(ひとつ20~30ページ)、一週間で読んでいます。ちなみに、このリーディングの量は学部課程のころの2倍以上で、アメリカ人にとっても読みこなすのが大変なボリュームです。週末も返上で勉強しなければならない理由のひとつがこれでした。授業時間以外での一日の勉強時間は、私の場合ですが、平均的にアーカンソーでは8時間くらい、ハーバードとウィスコンシンでは10時間以上です。課題の量と時間が比例しないのは、年数を重ねるにつれて要領よくこなせるようになっていったからだと思います。
さて、ペーパーですが、大学院ではかなりの量を書きます。参考までに学部課程と修士・博士課程を比較して書いてみると、一学期間では学部課程で3~5ページのペーパーを各授業2~3つ。期末だけちょっと長くて各授業5~8ページ程度。修士・博士課程では8~15ページのペーパーを各授業3~4つ。期末は各授業15~20ページ程度。ちなみに、ページはダブルスペースです。そして、一学期間に多くて4つ授業を取っているということをお忘れなく。そう、やはり大学院で書く文章の量はとても多いのです。もちろん、文章の中身もちゃんとみられます。文法ミスなど初歩的なミスはアウトです。もちろん、文系の大学院受験にはほぼ必須であるGREに出てくるような難しい単語を使いこなせればそれにこしたことはありません。ひとつ、確実にいえることは書くスピードは大事だということです。キーボードをみないでタイピングするという意味ではなく、いかに文章をはやく練り上げていけるか、という意味です。人によってライティングのステップは違うと思うので、自分にあった方法を見つけることが大事だと思います。

最後にスピーキングですが、これもまた表現するのが難しいですが、いうとすれば「言いたいことをいったん頭の中で文章を組み立てることなく言える英語力」が必要だと思います。授業中はどんどんと話が進んでいきます。ゆっくりしているとあっという間においていかれてしまうので、積極的に発言しようとすることが大切です。とはいえ、実のところ私も授業中に発言するのは得意ではありません。勢いにおされて発言するタイミングを逃すこともたまにあります。しかし、大切なのはそれでもちゃんと何かを言おうとしているという姿勢を見せることです。クラスメートも先生も、私たちが留学生であることを理解しています。いくらやる気があって留学しにきたとはいえ、まったくもってネイティブの学生と対等にディベートできなくても、それはわかってくれます。聞いているだけというのは一番よくないパターンです。頻繁でなくても発言していれば、先生が自分にわざと答えられそうな質問を振ってくれることもあります。

何を得たか
今日まで約6年間アメリカで勉強し、博士課程に在籍するまでになった私ですが、留学を通して得たもので一番嬉しく、大切に感じているのは、実は知識や卒業証書ではありません。ひとつは「視野」です。知らなかった歴史、考え方、人々の生活、言葉…様々な「新しいこと」が、新しい場所に住むたびに私の中に流れ込んできました。一度地球規模の視野を見つけてしまったら、もう元の小さな世界に生きる自分には戻れないのだと実感しています。日本では今日でも「集団主義」が重んじられる場面があり、規定の枠組みを外れたほかと異なる意見は嫌われることもありますが、それだけではいい方向に進化していくことはできません。進化するためには既存のものとは違う考え方を吹き入れていくことが大切だと思います。留学を通して開けた視野を養うことは、社会でそういった新しい風が必要とされるときに、必ず役に立つと私は思います。

そしてさらに貴重だなと感じているのが「人々との出会い、そしてつながり」です。今では世界45カ国以上に友人がいる私ですが、アメリカに行くまでは外国人の友達など一人もいませんでした。たくさんの国からやってくる留学生やアメリカ人の友人から毎日の生活の中で異文化を知ることができるのは、留学の醍醐味のひとつだと思います。印象に残っているのはハーバードで出会った友人たちです。勉強量が非常に多く、とてもハードな一年でしたから、彼らの存在は単なる「友達」というよりもむしろ「仲間」「戦友」「同志」という言葉で表すほうが的確でしょうか。本当は、入学するまでハーバード生というと怖そう(超勉強熱心でクールな感じ)なイメージがあり、受験して思いがけず合格した私が行くべきところではないのではないかと思っていたのです。しかし、そんな不安は完全に見当違いでした。みんな「普通」の人なのです。くだらないことで大笑いもするし、失敗もするし、恋愛もするし、スポーツにも夢中になるし、課題の提出日の前は憂鬱になります。留学中、「生まれ育った場所・母国語・習慣が違っても心を通じ合わせることができるのだ」という実感ほど、あたたかい感動を与えてくれたものはありません。卒業して学校を離れても、地球上の色々な場所に自分のことを思ってくれる友人がいるというのは、想像以上に素敵なものです。

修士・博士課程での留学を目指すのならば

学部課程を卒業後に海外、特にアメリカで修士・博士課程に進学することを考えていらっしゃる方に、経験者の立場からぜひアドバイスしたいことがあります。一つは、自分の歩んできた道に筋を一本通すことの大切さです。アメリカでは学部課程で勉強中に専攻を変えるのは難しくありません。現に、私も国際関係から心理学に変えた一人です。でも、そのあとに大学院に進学する意思が少しでもあるなら、何か一つ、自分の歩いてきた道筋にテーマと言えるべきものを持っているべきです。大学院受験の要の一つにStatement of Purposeというのがあり、これは自分の歴史と考えをアピールする場なのですが、これを書くときに過去の自分にまでさかのぼり、どうしてこれからこのプログラムで勉強したいのか、そして卒業後には何をしたいのか、を考える必要がでてきます。このエッセーを書き始めるときまでに、勉強以外のことでも授業に関することでも、自分の経験してきたことのエピソードの数々がどこかでつながっていて、それが今の自分を作り上げたのだということを言えるようにしておくことが大切です。私の場合、自分の留学生としての苦労・失敗談や、友達やライティングセンターの方々とのふとした会話などのエピソードをたくさん織り交ぜながら、それらがのちに英語教育と国際理解教育を学問として勉強したいと思うきっかけになったのだ、と主張しました。

また、「話題の引き出しが多い人」を目指して、学部課程に在籍している間にいろいろなことに積極的に取り組んでみてください。大学院に進学するような人の多くが、学部時代にstudent organizationでリーダーをしていたり、珍しいボランティア経験があったり、重要なプロジェクトを教授と研究した経験があったり、何かしら周りの多くの学生とは違う経歴をもっています。レベルの高い大学院であればあるほど、そういった変わった人材に興味を持つものです(なぜなら、多様なバックグラウンドを持つ学生をキャンパスに集めたいからです)。私も、student organizationを立ち上げその代表を務めたり(留学生としてアメリカ人の学生たちを引っ張るのは、予想通り、簡単ではありませんでした)、学部2年生の夏にイギリスのケンブリッジ大学にさらに留学したことなどを書きました。もちろん、学部課程と修士・博士のプログラムの分野が同じならば、学部時代に研究経験を積んでおくことはとても有利になると思います。私も幸い心理学の研究室でアシスタントをしていたので、研究のプロセスが似ている教育学という分野ではそれが大きなアピールになりました。

第三に、普段から困難だと思えることにも果敢に挑戦し、最後までそれをやりぬいてみてください。授業でAを取り続けることや、グループの代表を長期間務めること、ボランティアを続けること、スポーツや芸術の分野で腕を上げること・・・そういったことのすべてが、自分に自信をもたらしてくれるだけでなく、「努力できる」学生である、という証明になります。そしてその証明は、大学院を受験するときに最も強みになることの一つだと私は思います。なぜなら、受験生を選考する入試委員会の先生方は、大学院を卒業するには課題やプレッシャーに追われつつ最後にはそれに打ち勝つ力が必要不可欠だと知っているからです。そしてその戦いを制する一番の力こそ、努力家であることなのです。

そして、最後にもう一つ。自分自身の可能性を信じてください。一生懸命やっても自分には無理なんじゃないかと思ったり、どうせ叶うわけないと、はなから行動を起こさない人がたまにいますが、それが一番もったいないと思います。私は修士課程では言わずと知れたハーバード大学、博士課程では分野で全米一位のウィスコンシン大学マディソン校を受験しましたが、受験することを話したとき「まさかあなたがそんないい大学に合格できるの?」という反応をする人も周りにたくさんいました。でも、結局はやってみないとわからないのです。やれることはすべてやりきり、適当に頑張ったことなんて何もないと自信をもって言えるほど物事に全力で取り組み、そして自分の今までの人生とこれからやりたいことを見つめてその中に一筋の道を見つけることができたならば― 手が届かないと思っている修士・博士プログラムこそ、自分にふさわしい居場所になっているかもしれません。


最後に


海外の大学院に進学するということは、本当に大きな決断ですし時間面でも経済面でも「賭け」だと思います。たくさん努力をしてようやくつかんだ合格であり勉強できるチャンスだとわかっていても「本当にこれでいいんだろうか。本当にこの留学が自分のためになるんだろうか」と不安になることもあります。それでも海外で勉強することを選ぶのは、それをとおして世界が広がり、自分がさらに人間的に豊かになれることを、これまでアメリカで過ごしてきた日々が教えてくれたからです。あなたも、ぜひ留学に挑戦してみたことのない世界をのぞいてみませんか。将来あなたも留学することになったときには、お互い精一杯頑張りましょう!



著者略歴:若菜友子(わかなともこ)
2006年より米州立アーカンソー大学に進学。2年次には英国ケンブリッジ大学に留学し、2010年春に心理学をsumma cum laudeで卒業。同年8月より ハーバード大学教育学大学院の修士課程で心理学と人間発達を専攻し、第二言語教育と国際教育について心理学的アプローチから学ぶ。2012年秋からはウィスコンシン大学マディソン校でカリキュラム&指導学部の博士課程に在籍中。

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