2013年12月15日日曜日

アメリカ研究サバイバル(前)良いポスドク先を見つける方法

※今回は過去のメルマガから人気の記事(2009年3月 Vol.45 No.1, Part 1)をピックアップして配信しています。

前々回(アメリカ企業就職サバイバル(前) レジュメの書き方)前回(アメリカ企業就職サバイバル(後) カバーレターの書き方、インタビュー)と、青木さんがアメリカの企業でのサバイバル術に関して書いてくれましたが、今回はアカデミックバージョンです。杉井さんが、大学院修了後の、良いポスドク先を見つける方法・実際の応募方法に関して、2回に渡って執筆してくれます。今回のメルマガでは、どうやって自分に合ったポスドク先を見つけるかです。ポイントとしては、大学名ではなく研究室(の主宰者)で選ぶこと、その研究室の卒業生の進路を考慮した上で選ぶこと、また、研究室主宰者の人間性をよく知ることです。これまでにメルマガで繰り返し出てきたように、コネを最大限生かすことが成功への鍵になりそうです。では、お楽しみ下さい!

Ph.D. 取得後のキャリアを成功させるには~様々なケースから学ぶこと

アカデミアで研究を続ける場合:良いポスドク先を見つける方法 

日本でもだんだん一般的になってきましたが、一人前の研究者を目指す場合、海外では博士号取得後、さらに数年の間、「ポストドクター研究員(通称・ポスドク)」として、研究することが普通です。

現在アメリカでは、アカデミアの研究者を目指す人たちはいうまでもなく、企業の研究者や、政府の科学系業務に携わる役人、研究雑誌のエディターまでもが、「ポスドクの経験」を求められることが一般的になりました。

よくある理由としては、「研究経験を多く積んだ人材の方がより良い仕事ができるから」。・・・聞こえはいいですが、実際のところは、博士号取得者が有り余っていて、これらの職の定員(需要)に対して、供給が多すぎるというのが本当の理由です。

ですから、博士号を取る十分前から、 将来自分が何をしたいか、研究に対してどれだけの興味と情熱があるかをよく考えて、ポスドクをするかどうか決めてください。博士号に5~6年費やしたのち、さらに貴重な数年(最小1~2年から最大10年~∞年?)を費やすことになるのですから。

それでも将来設計から、海外でポスドクをして研究生活を送りたいというのなら、みなさんがよいポスドク先を見つけられるよう、私の限られた経験と見聞から、アドバイスしたいと思います。

あくまで私の分野のバイオ系、しかもアメリカでの話が中心で、他の分野や国では、状況が違うこともありうることを、あらかじめご了承ください。皆さんの知り合いに経験者がいれば、積極的にコンタクトを取って、複数の人たちから話を聞くことをおすすめします。


一般的なポスドク先の探し方

ポスドクは、大学院生のとき以上に、所属ラボへの依存度が高くなります。大学院のときはコースワークもあったし、自分のボス以外にコミッティメンバーが複数いたし、クラスメートがあちこちのラボに所属しているので、いろいろなコンタクトが持てます。

しかし、ポスドクの生活は、ラボでの研究が9割以上を占めるのが普通です。従って、そのラボのボスの人格・研究能力・経済力によって、自分の将来までもが左右されることを頭に入れておいてください。間違っても、ラボが所属している大学(研究機関)の名前で決めたりしないでください。学生の場合とは違って、「大学ランキング」は意味がありません。

いわゆる一流大学のラボでも、 研究活動が低調で大学内では蔑まされていて、明日にはどうなるか分からない研究室もあります。逆に、聞いたことがない大学・研究機関でも、ラボのボスが超一流の研究をしていて、所属機関の全面的なバックアップを受け、飛ぶ鳥落とす勢いのところもあります。

ラボを選ぶ際に、最も活用されていて手っ取り早い方法は、 Science 紙をはじめとするジャーナルが設けている求人コーナーを見ることです。また、ラボが所属している各大学機関のウェブサイトに求人が載っていることもよくあります。

しかし、それだけでは、いわゆる「人気ラボ」の求人を見つけることは困難です。そこで、次に、自分の希望分野で高インパクトのある論文を多く出している科学者、学会で高く評価されていたり賞を多くもらっている科学者などをリストアップします。

進路を踏まえたポスドク先の選び方

さて、先に「将来の進路を考えて」ポスドクを考慮する、 と言いましたが、これには別の理由もあります。それによって、どんなポスドク先を選ぶべきかが決まってくるからです。

将来アカデミアの研究者でやっていきたいのなら、出身者のほとんどがアカデミアのポストに進んでいるラボを選ぶべきです。それだけ、そのボスが熱心にアカデミア行きを後押ししているか、アカデミアでの大きなネットワークを持っているという可能性が高いです。

企業の研究者になりたいのなら、 希望する業種への就職に強いラボを選んでください。特に、ボスがベンチャー企業を経営していたり、特定企業のアドバイザーをつとめていたりしていたら、グッドサインです。前回のコラムを執筆された青木さんもおっしゃっていましたが、アメリカでは企業就職は、アカデミア就職以上に、「コネ」「ネットワーク」が有利に働きます。

* 参照:アメリカ企業就職サバイバルのためのアドバイス (前編) (後編)

余談ですが、大学院在学中の人脈も大事にしてください。後々、役に立つかもしれません。

ラボ決めで考慮すべきポイント

さて、次は希望ラボのリサーチです。繰り返しになりますが、 キャリアを考えたときに最重要なのは、そのラボの出身者がどういった進路に行っているか、ということです。

それから、ボスの人間性です。ラボヘッドの人格次第で、ラボの雰囲気もずいぶん違ってきますし、気分よく仕事ができるかどうかが左右されます。しかも、まわりからの人望が厚いボスのもとで働いてきた弟子は、就職の際に引っ張りだこになりやすく、得をします。

「研究内容が興味持てるかが一番重要だろ?」 という方もいるかもしれませんが、キャリアの観点では二の次です。それに、論文発表されていたりウェブサイトに書かれている内容は、すでに昔の話になっていて、今は新たな方向性の研究をしていたりすることがよくあります。それが現在進行形で行われたとしても、すでに所属している研究室メンバーが着手していて、新メンバーには回ってこない可能性も高いです。

研究の興味というのは、時間とともに変わっていく水物です。それに、もし大学院でやっていた研究の延長線上だったら、視野を広げるという点では、良いことではありません。特定の研究に固執する人よりも、臨機応変に考えられる人の方がより成功していくのを、多く見てきました。

自分がある程度フレキシブルであれば、優秀なボスというのは、サイエンスの分野でホットになるトピックを選別している、もしくは自ら作り出していることが多いので、こういったボスのもとで働いている限り、将来の研究内容を選ぶうえで困ることがあまりないのです。

さて、リサーチの話に戻りましょう。興味のある研究室がホームページを持っている場合、事前リサーチは楽になります。しかし、評判の良いラボでホームページを持っていないところや、あっても長いこと更新がなされておらず、古い情報しか載っていない場合も多くあります。

この場合は、何とかして「コネ」を見つけだします。「コネ」と言うと仰々しく聞こえるでしょうが、例えば友人の知り合いとか、ボスの友人とか、薄いつながりでも十分です。

現在所属している人を見つけるのがベストですが、 そうでなかったら、過去に所属した人でも良いでしょう。あと私の経験では、日本人が所属していてメールアドレスが分かる場合、メールしたら返事してくれる確率が高いです(だいたい8割くらいでしょうか)・・・同じ日本人として、協力し合えるというのは、何ともすばらしいことです。返事してくれたら、お礼のメールもお忘れな
く。

今現在の自分のボスにも、最大限アドバイスを求めてください。また、ボスの個人的なつながりを利用できれば、有力ラボへの「近道」になります。

応募に備えての準備

さて、そうやって希望研究室をリストアップしたあとは、 自分が各々のラボにどうやって「コントリビュート(貢献)」できるか考えます。そのためには、それぞれのラボの研究プロジェクトを研究し、自分の研究してきた分野の知識や実験手法を取り入れることができるかどうか、考えます。

例えば、生物医学系の研究室では、有機化学の合成をできる人、ナノテクノロジーをバイオテックに応用できる人、膨大な遺伝子データなどを解析できるバイオインフォマティシャンなどを、探している可能性があります。ここまで違う分野でなくても、他の人とはなるべく異なるバックグラウンドを持ったメンバーを、優秀なボスは求めていることが多いのです。

さて、希望ラボと自分がしたいプロジェクトが決まったところで、 次回は、アプライの手紙の書き方、インタビュー、オファーを獲得する方策について、引き続き書いていきたいと思います。


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執筆者紹介
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杉井 重紀
1996年京都大学農芸化学科卒業。卒業後、UCバークレーで聴講生(浪人生活?)を経て、ダートマス大学分子細胞生物学プログラム博士課程に在籍。2003年に博士号取得後、カリフォルニア州サンディエゴ近郊にあるソーク研究所に ポスドク研究員として勤務中。 2000年より、カガクシャネット代表をつとめる。


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編集後記
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WBCは日本が優勝して、本当に良かったです。私はサンディエゴに在住ですので、ペトコパークでの第2次ラウンドは子連れで応援しに行きました。観衆はそれほど多いとは言えなかったですが、売店ではグッズが飛ぶように売れていて、JAPANの帽子は完売。しょうがないので、Tシャツとキーホルダーを買いました。日本人観客・一人一人の真剣さが伝わった感じです。最強と言われたキューバ相手にあれだけの完璧な試合運びができたのですから、日本の強さは本物です。永遠のライバル、韓国との決戦もドラマになりました。苦しんでも、ここ一番というときに決められる、イチローのようなリーダーが、他の分野でもほしいところです。(杉井)


日本では、間もなく新学期のスタートですね。このメールマガジンも、新学期のスタートからはやや遅れますが、もう間もなく、第3弾がスタートします。先日のみなさんから頂いたアンケート結果をもとに、執筆陣で話し合ってきました。これまで以上に、みなさんのご期待に答えられればと思います。どうぞお楽しみに!(山本)


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2013年12月8日日曜日

アメリカ企業就職サバイバル(後) カバーレターの書き方、インタビュー


※今回は過去のメルマガから人気の記事(2009年2月 Vol.44 No.1, Part 2)をピックアップして配信しています。


前回「アメリカ企業就職サバイバル(前) レジュメの書き方」に引き続き、今回も「アメリカ企業就職サバイバルのためのアドバイス」に関しての記事です。前回は、仕事を見つけるために重要なのはネットワーク作りであること、そして実際にレジュメを書いてみること&その書き方、に関して書いてくれました。今回は、レジュメと同様に大事な、カバーレターの書き方、そして実際にオファーをもらった際の、それ以降の交渉に関してです。今回も多くの例と共に紹介してくれるので、非常にわかりやすく、明快だと思います。どうぞ、お楽しみ下さい。

カバーレター

レジュメを書いたことがあるという人はおられるかもしれませんが、アメリカで仕事に応募する上で欠かせないものとして、カバーレター(Cover Letter)が挙げられます。カバーレターとは、レジュメに添えて就職を希望する会社に提出する手紙で、以下の点について書く必要があります。

  • あなたがレジュメを提出する理由
  • あなたが応募しているポジション名
  • どのようにそのポジションのことを知ったか
  • あなたのそのポジションへの適性を、これまでの教育・技術・経歴などから説明する

つまり、カバーレターは自己紹介の手紙で、応募するポジションごとに書く必要があります。日本では、仕事に応募するというよりも、会社に応募するのが一般的で、応募の段階では、具体的にどのような仕事につくのか分かっていない場合が多いでしょう。しかし、アメリカの場合は、各ポジションごとに適任の人を雇います。そして、レジュメとカバーレターにより、自分がどれほどそのポジションに適しているかを説明する必要があります。

以下、例を考えてみましょう。仮にあるハイテク企業が、材料評価法であるエックス線回折 (x-ray diffraction)、電子顕微鏡法(TEM、STEM、SEM など)、分析電子顕微鏡法(EELS、EDS 法)、集束イオンビーム法(FIB)に詳しい材料科学者(Materials Scientist)の募集をし、以下のような求人広告(Job Posting)を出したとします。

REQUIREMENTS (例):

  • Competence with TEM and STEM techniques for solving materials science problems as related to industry.
  • Hands-on operation and some routine maintenance of such systems.
  • Working knowledge and expertise in EDS and EELS analysis.
  • Interpret results as it impacts processes and material development for recording heads, MRAM, MEMS, and other related programs.
  • Additional knowledge and expertise in XRD, XRR and Dual Beam preferred.
  • Minimum of a M.S. degree, Ph.D. preferred in Material Science, Physics related field.

このポジションに応募するとして、サンプルのカバーレターを書いてみました。うまく書けているかどうか分かりませんが、一応アメリカ人にもチェックしてもらいました。ご意見・批評などありましたら、お願いします。

ジョブインタビュー

募集先が、レジュメ・カバーレターを通じて応募者に興味を持つと、まず電話でのスクリーニング、つまり篩(ふるい)に掛けることがよくあります。担当部署のマネージャーが電話を掛けてくる場合もありますし、人事担当からの場合もあります。このスクリーニングをパスすると、ようやくジョブインタビュー(Job Interview)となります。多くの場合(絶対ではないですが)、面談に掛かる費用、例えば交通費(飛行機・レンタカー代)や宿泊費は、会社側が持ってくれるのが一般的です。

ジョブインタビューの際には、グループで面接したり、一人ずつ何人もの人と面接をしたり、プレゼンテーションを頼まれたりします。これにより、会社側は候補者がどのような人物なのか、どのような技術・知識を持っているのかを見ようとします。また、面接を受けている人にわざとストレスを与え(例えば、難しい質問を連続で浴びせたりする)、どのような反応をするか見る会社もあると聞きました。

ジョブインタビューに際しては、事前に会社の事業内容、経営者や研究者について調べ、さらに応募しようとしているポジションに要求される技術・知識などについてしっかりと理解しましょう。そして、予想される質問に対して、自分なりの回答を準備しましょう。少なくとも、レジュメに書いたことに関しては、何でも質問に答えられるようにすると良いと思います。また、質問に答える際には、あなたのレジュメ・カバーレターに書いてある経験・知識・技術、そして業績と応募しているポジション・会社との関連付けを行うようにしましょう。つまり、あなたがそのポジションにぴったりの人物であることを印象付けるように、努力する必要があります。

また、ジョブインタビューでは、雇う側があなたを面接するわけですが、あなた自身がその会社をインタビューする機会でもあります。予想される質問への答えだけではなく、面接の際に訊く質問をたくさん準備しましょう。ジョブインタビューの際に、面接者に様々な質問をしていく過程で、職場の雰囲気や自分の上司となる人、あるいは同僚の性格など、多くのことを知ることが出来ます。特に、同僚がどの程度、会社や上司、そして仕事内容に満足しているかを知ることは、あなたがオファーをもらった際に、最終的に受諾するかどうかを決める上で、重要な判断材料となるでしょう。

初任給・給料についてリサーチ

面接に行く前、もしくはオファーを受ける前に必ずやるべきことは、応募しているポジションのその地域での平均的な初任給・給料についてリサーチをすることです(転職者の場合は、アプライしようとしているポジションの平均給与を調べます)。同じ名前の仕事でも、初任給・給料は、分野・地域・学位によっても異なります。以下のリンク先や所属学会のウェブサイトなどを使ってリサーチをし、データに基づいた数字を頭に入れておくと良いと思います。




私の分野に近い物理系であれば、Ph.D. の初任給は、2003-2004年のデータで、$68,000ドル~90,000となっています(数年前のデータですから、今はこの額よりは少し高くなっていると思われます。私の予想では、$72,000~95,000程度)。生活費の安い地域では、$68,000ドル~80,000、ニューヨークやカリフォルニアなど、生活費が高い地域では、$90,000(今ならば$95,000程度)に近い給料が期待されます。その地域での平均的な初任給を知っていれば、オファーをもらった時にその条件を評価するのに非常に助かります。

以下、アメリカ物理学会のデータです。

http://www.aip.org/statistics/trends/reports/emp.pdf

仕事のオファーをもらっていない段階で、給料をどれくらいもらえるかを尋ねることはタブーとなっています。また、面接もしていない段階で、応募先が希望給料額(Salary requirement)を、メールや電話などで尋ねてくることがあります。この際には、失礼にならないように、具体的な数字について言及するのは避けましょう。メールの場合などには、Salary の欄は空欄にするか、「面接の際にお話します」のように断っておくと良いと思います。

また、転職希望者の場合、オファーをもらう前の面接の際に、現在の給料はいくらか尋ねられると思います。応募先は、その額を基に人選・オファーを考えるわけですが、この情報は出来れば相手側に与えたくないところです。なぜならば、現在の給料が応募先の会社の考えている額に対して多すぎる場合は、それだけで対象外となるかもしれませんし、額が少ない場合は、オファーの額を少なくされてしまう可能性もあるからです。そのため、"I am making a com-petitive salary for a Materials Scientist with 5 years of experience." のように、できるだけ具体的な数字を避けた方が良い、とアメリカ人からアドバイスを受けました。もちろん、具体的な数字を面接者に言わないといけないこともあるでしょう。その場合は、相手がその数字についてどう思うか尋ねるなどして、情報が一方通行にならないような工夫をすると良いと思います。

実際に面接を終え、最終的に会社側があなたに仕事をオファーすることを決めると、例えば

"We are pleased to offer you the position, Materials Scientist at an annual salary of $85,000"

というように、具体的な給料額の提示を受けます。

オファーを受けたら、給料を含めてオファーの内容をしっかり確認するようにしましょう。引っ越しが必要な場合は、どのようなサポートがあるのかも重要な項目です。例えば、引っ越し屋のサポートはあるのか、車の輸送費は出るのか、飛行機代はでるのか、などです。不明な点はその場で質問するか、後から電話して確認すると良いと思います。そして、その内容を実際にオファーレターとして(電子メールではなく、ハードコピーして)送ってもらうようにしましょう。

提示額に不服のある場合は交渉

オファーをもらったら、リサーチに基づいて評価してみて下さい。提示額に不服のある場合は、交渉をすることも出来ます (Salary Negotiation)。その際には、自分がいくら欲しいかを訴えるのではなく、「市場でのあなたの学位、経験などに基づいた適正給料」に集中することをお勧めします。つまり、「データによると、・・・市近郊での Ph.D. の初任給は$xxxになっていますが、いかがお考えでしょうか」のように聞くのが良いでしょう。

参考までに、実際に受け取ったオファーレターの最初のページを紹介します。なお、一部の情報は伏せさせていただきました。

お金について少し書きました。もちろん、お金が一番大切ではないかもしれませんが、自分の好きな仕事をすることで自分の価値・業績をきちんと評価してもらい、それに応じた待遇を受けることは、素晴らしいことだと思いませんか。そして、アメリカは、研究者であろうと自分の価値・仕事を正しく評価してもらうために、きちんと自分の考えを述ベることが出来る国です。

話は大きく変わります。日本では終身雇用制が崩れつつあると聞きますが、それでも一生同じ会社に勤める人はまだ多いと思います。きちんとしたデータは無いようですが、アメリカでは平均で一生のうち4~5回転職すると聞きます。転職の目的は、より良い仕事と待遇、つまりステップアップです。もちろん同じ会社に何十年も勤めている人もたくさんいます。キーとなるのは、自分の仕事・環境・待遇がどれだけ好きかということだと思います。

自分が就職活動をしているときに、就職斡旋のプロから、「最初の仕事は、必ずしも夢の仕事ではないかもしれない」と言われました。つまり、そのプロによると、卒業してすぐ夢の仕事につければ本当にすばらしいが、そうでないからと言ってがっかりすることはない、とのことです。その場合、将来的に、夢の仕事につくためにプラスになる経験を積む努力することで、夢の仕事を目指し続けることが出来るわけです。私の知人で、2回目の転職で、ようやく夢の仕事につけたと言っている人がいました。こういうことは良くあることだそうです。

夢の仕事につくために一番大切なことは、実力を身につけることだと思います。実力とは、ただ単に勉強、研究、仕事が出来ることを指すのではありません。それらに加えて、人間関係の技術、チームワーク力、リーダーシップ、幅広い知識、語学力など、様々な面でプロフェッショナルあるいはビジネスパーソンとしての力をつけていくことであり、その努力をすればきっと道は開けていくことと思います。

この点につきまして以下のメールマガジンバックナンバーをご参照ください。
* 【海外サイエンス・実況中継】Vol. 36, No. 1, Part 1およびPart 2

このようなエッセイを書いてきましたが、私自身もまだ自分の夢に向かって前進している途中だと思っています。内容に、不備・至らないところがあろうかと思いますが、ご了承ください。このエッセイが、アメリカで就職・夢の実現を目指している方々の何らかの参考になったり、日本を飛び出して、海外で自分の力を試してみたいと思われる方々の一助になれば幸いです。



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編集後記
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只今バケーションで、日本の家族と共にモニュメントバレーに来ています。明日からはグランドキャニオン、ブライスキャニオン等に向かいます。初めてグランドキャニオン、モニュメントバレーを訪れたのはアリゾナで貧乏大学院生をしていた2001年。広大な大自然に身が震えるほど感動しました。そして、大学院での自分の苦労がとても小さなものに感じ、絶対に頑張るぞ、という思いが湧き上がって来たのをおぼえています。あれから8年の月日が経ちました。その間、大学院を無事卒業し、現在はプロフェッショナルとして働いていますが、今回の旅はいわば私の原点・Sanctuaryに戻る旅。特別な想いを感じています。混沌とした先の見えない世の中、自分の原点・Sanctuaryにて自分を見つめなおすと共に5年後、10年後の自分のビジョンについて考えてみたいと思っています。皆様も自分のSanctuaryをお持ちでしょうか?(著者)



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執筆者紹介
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青木敏洋 (Toshihiro Aoki)
カガクシャ・ネットでのタイトル: カガクシャ・ネットアドバイザー

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2013年12月1日日曜日

アメリカ企業就職サバイバル(前) レジュメの書き方


※今回は過去のメルマガから人気の記事(2009年2月 Vol.44 No.1, Part 1)をピックアップして配信しています。

さて今回は、アメリカで企業に勤務されているカガクシャネットのメンバーが、「Ph.D. 取得後のキャリアを成功させるには~様々なケースから学ぶこと(総編集前編 / 総編集後編)」に関連して、アメリカ企業で生き残るための秘訣を紹介してくれます。全2回に渡って配信予定で、今号では、まず就職活動の第一関門となる、レジュメの書き方に関してです。レジュメはよく履歴書と訳されますが、日本の履歴書のように写真も貼らなければ、フォーマットも決まっていません。しかし、書くべきポイントは決まっていて、自分を売り込みつつ簡潔にまとめる必要があります。どうぞ、お楽しみ下さい!

ネットワーキング


アメリカ経済は、サブプライムの問題に端を発し、世界経済を大混乱に陥し入れました。銀行を救済するため、多額の公的資金が注入されたり、さらにはジェネラルモーターズ(GM)、フォード、クライスラーという、アメリカ三大自動車会社が倒産の危機に瀕し、政府に救済を求めたことなどは、記憶に新しいかと思います。

統計によると、2008年1月から2009年2月までに、アメリカで360万人もの方が職を失いました。しかもその半数の人々は、ここ 3ヶ月ほどで失業しました。今後も失業率は上昇することが予想されています。これまで私自身は、大学は安全だろうと思っていたのですが、カリフォルニア、アリゾナなど多くの州で、州立大学に対する大きな予算カットが発表され、大学にも不況の波が押し寄せているようです。

このような厳しい状況の中で、多くの方が将来に関して不安を感じていることと思います。また学生・院生の方ならば、就職について心配しているでしょうし、仕事をされている方でも、自分の仕事の将来について、不安を抱いているかもしれません。

しかし、まずお伝えしたいのは、このような不況の中でも、人を探している会社はある、と言うことです。事実、私も最近、うちの会社に来ないか、とお誘いを受け、実際に面接に行きオファーを頂きました。

仕事を見つけるための鍵は、ネットワークです。


特にこのような不況下では、ネットワークは益々重要性を増すものと思われます。ネットワークとは、日本でいう「コネ」に近いものがありますが、日本でのようなマイナスイメージは全くなく、むしろ必要かつ優秀な人材をハズレなしに雇う手段として、非常に好まれています。アメリカでは知っている人を雇う、知っている人の紹介を最優先する傾向があるからです。

下記の About.com 記事によると、60%あるいはそれ以上の人が、ネットワークを通じて仕事を見つけており、ネットワークの優位性を示しています。




そのため、オンラインや雑誌、新聞などに掲載されている求人情報に応募するだけでは、もちろんゼロではありませんが、簡単には面接までたどり着けません。したがって、教授たちと良い関係を築く、友人のネットワークを広げる、学会などで様々な人と知り合いになるように努めることは、非常に重要となります。私も学生のときに、先に卒業したクラスメートを通じて仕事を見つけたケースを多く見ました。私が卒業するときも、今ほどではありませんが、就職難だったので、羨ましく思ったものです。大学の同窓会などを通じて、既に卒業して業界で活躍している卒業生に、ネットワークを広げることもできます。

私も今の仕事は、学会でお会いした方を通じて見つけました。最近面接に行った仕事も、元同じ研究室の友人を通じてのお話でした。LinkedIn.com や Facebook.com などのソーシャル・ネットワーキング・サービスを利用するのも一つの手です。もしまだネットワーク作りを積極的に行っていなければ、是非、今すぐはじめることをお勧めします。

レジュメの書き方(基礎)


ネットワーク作りの次にお勧めすることは、今すぐレジュメを書くことです。仕事を探しているときに、学会などでお会いした方にレジュメを送ってくれ、と言われたことが何度もありました。

日本でもレジュメという言葉が一般的になってきました。しかし、アメリカのレジュメは、日本でいう履歴書とは少々異なります。専用の用紙があるわけではなく、どのように書くかは本人次第です。そうは言っても、レジュメの書き方にはスタイルがあり、きちんとしたスタイルにしたがって書かなければ、それだけで悪い印象を与えてしまうことすらあります。

そこで、アメリカ企業に応募する際のレジュメの書き方について、実体験から学んだことを少し紹介したいと思います。なお、私自身もレジュメの専門家ではないので、あくまで一経験者のアドバイスとしてお受け取りください。

(ちなみに、大学教授・ポスドク職へ応募する場合に書く履歴書は、Resume ではなく、Curriculum Vitae (CV) が一般的ですが、ページ数が多く、書き方のスタイルも違うので、このエッセーでは述べません。)

英文レジュメには、以下の項目を1ページにまとめて書くのが一般的です。近年は、このルールを必ずしも守る必要はないと言われていますが、新卒ならば可能な限り1ページにし、職務経験が豊富でどうしても1ページでまとめられない場合は、2ページとするのが良いと思います。先日、卒業直前の友人からレジュメが送られてきたのですが、何と3ページもありました。明らかに書きすぎでしょう。

必須事項

  • 自分の名前、連絡先(住所、電話番号、Email アドレスなど)
  • レジュメの目的(Objective)オプションだがつけたほうが良い
  • Summary of Qualifications をオプションで付け加えても良い
  • 自分の職歴と業績(Professional Experience): 新しい仕事から年代順に
  • 技術・知識 (Skills)
  • 学歴(Education)
オプショナル
  • 資格(免許証の所持は書かない)
  • 賞与(Awards & Honors)
  • 発表論文・著書(Publications)


日本の履歴書とも重なる部分はありますが、アメリカの場合は、上記の順番は決まっておらず、各自のスタイルによって、あるいは新卒の場合と経験者の場合によって、書き方を変えたほうがよい場合があります。例えば、新卒の場合は、職歴よりも先に学歴を書いた方が良いし、応募しようとしている仕事に直結した職歴がある場合は、職歴を先に書いた方が良いと言われます。

それでは、これまで実際に自分でレジュメを書いたり、人のレジュメを見たり、アメリカ人から聞いたりしたことから、レジュメを書く際のキーポイントをいくつか挙げてみたいと思います。

まず、レジュメは、あなたが応募先の会社に与える第一印象と言えます。そして、第一印象は後々まで響くものです。きちんと整理されたレジュメを書くことは、良い第一印象を与えるための第一歩です。

レジュメの目的は、あなたを売り込むことであり、ただ単に過去のあなたの履歴を列挙するものではありません。応募先の会社があなたを雇った場合、どのようなメリットがあるかを推測させるようなレジュメを目指す必要があります。ただし、売り込むことは大切ですが、嘘を書いてはいけません。生き残りのためには手段を選ばない人もいますが、情報が事実でないと発覚すると、あとで大変なことになります。

レジュメを書くときには、応募するポジションの募集要件に即して書きましょう。つまり、応募するポジションに応じて、いくつか異なるレジュメを書く必要があるということです。企業は会社のニーズに合った人材を探しているからです。

また、素晴らしいレジュメは、あなたの能力・技術、業績について、明確・正直・力強く述べると同時に、あなたの能力・成功を裏付ける証拠について言及します。

レジュメの書き方(具体例)


それでは目的、Summary of Qualifications、職歴の項を例を挙げながら考えてみたいと思います。

目的(Objective)

【例】

  • Materials engineer/scientist position in the ......... industry

この例を使って、いくつかのルールを紹介してみたいと思います。まず、
OBJECTIVE をはじめ、前述の各項目、職歴、記述、教育などは、すべて大文字で書き、さらに太字にします。下線は必要ではないかもしれませんが、太字かつ下線を引くととても見やすくなるのでおすすめだと、アメリカ人からアドバイスをもらったことがあります。

Summary of Qualifications

次に Summary of Qualifications はオプションですが、このセクションを上手く使うと、レジュメをしっかり最後まで読んでもらえる可能性が高くなります。会社は求人広告を出すと、たくさんのレジュメを受け取りますので、スクリーニング(ざっと目を通して選別する作業)で除外されてしまって、実際に人材を募集している部署の責任者に読んでもらえないレジュメもたくさんあります。レジュメをきちんと読んでもらうためには、自分がこれまでに成し遂げた業績と、自分の持つスキルセットに焦点を当てます。レジュメの後の項で書くことの繰り返しにならないように注意する必要があります。

【例1】

  • 5 year experience on designing conductive polymer devices, holding two US patents.
  • Proven ability to design and implement highly effective experiments.
  • Outstanding multi-tasking skills.
  • Japanese/English bilingual.

上の例では箇条書き形式で書きましたが、段落形式という書き方もあります。

【例2】
5 year experience on designing conductive polymer devices, holding two US patents, Japanese/English bilingual, proven ability to design and implement highly effective experiments, and outstanding multi-tasking skills.
個人的には、レジュメは例1のような箇条書き形式で書くのがベストだと思います。理由は、なんと言っても見やすいことです。Summary of Qualifications に限らず、レジュメでは、段落形式でだらだらと書くより、箇条書き形式で書くことをお勧めします。

職歴(Professional Experience)

職歴(Professional Experience)は、レジュメの中でも最も重要な項目です。ここでは、ただ単にどういう仕事をしたかを書くのではなく、どんなプロジェクトに携わってどのような業績を挙げたのか(Accomplish-oriented)をアピールする必要があります。また、仕事を通じてどのような技術を身につけたかを述べることも重要でしょう。下の例では、最初の項である問題を解決したことを挙げ、2つ目の項で、仕事を通じてどのような技術・知識を身につけたかを書いてみました。素晴らしい例ではないかもしれませんが、職歴の項目を書く場合には、ただ単に自分の仕事(Responsibilities)だけを列挙するのではなく、Accomplishments, つまり何を成し遂げたかを書くように努めると、良いレジュメになります。

【例】
Applications Specialist, KAGAKUSHA, INC.
San Jose, CA, Sep. 2002-present
  • Completed more than 30 challenging instrument acceptance tests, leading to successful completion of installation of instruments.
  • Have carried out microscopy/spectroscopy on various materialssystems such as Si-based devices, semiconductor hetero-structures, magnetic multi-layers, nano-structured materials, developing strong materials characterization skills and solid understanding of electron optics.
  • ...

また、アメリカ人の知人に何度かレジュメを見てもらって学んだことは、箇条書きで書く際に、各項目に主語である “I” を書かないことです。例えば上の例で言えば、最初の項目の文章をキチンと書くならば、I completed... と始めるのが正しいのですが、“I” は書かずに Completed... と始めます。また現在進行中のことであれば、I am consulting with... とは書き始めずに Consulting with... と始めるようです。

Relevant Experience & Employment

RA/TA 以外の職務経験がない場合は、Professional Experience の代わりに Relevant Experience & Employment という項目を作れば良いと思います。
この場合も同様に、どのような仕事をしてどのような技術を身につけたのか、あるいはどういう成果を出したのかをまとめます。

【例】
Graduate Research Associate, Prof. XYZ Group,
ABC University, ABC, CA, 2001-2003
  • Carried out research on wide-bandgap GaN semiconductor, and developed skills on thin film growth, and device fabrications.

レジュメに関してはこれくらいにしたいと思います。インターネット上にたくさんのサンプルがありますので、是非調べてみてください。私も参考までに書いてみました。実際に書いてみると中々難しいものですね。コメント・批評などあれば、よろしくお願いします。


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編集後記
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先日、ニューヨーク州ロングアイランドに出張で行った際に、接待でお客さんを夕食にお連れしました。お客さんのリクエストでロブスターをご馳走してくれると言う高級レストランに行ったのですが、大きなレストランのダイニングエリアは空っぽ。火曜日の晩と言うこともあったかもしれませんが、お客は私達4人だけでした。そのレストランにいた2時間ほどの間に、レストランにやってきたのは、私達以外に2人だけでした。不景気の影響で少し高めのレストランの売り上げはかなり落ちていると聞いていましたが、それを目の当たりにした瞬間でした。まあ私達は美味しいロブスターをレストランほぼ貸し切り状態で楽しんだわけですが。オバマ新大統領の下、この不景気を脱出しようと大型の経済活性化案が出ております。この政策で国の赤字、借金が増えるため反対派勢力も多いですが、何とか経済が活性化され経済が上向くことをただただ祈るばかりです。(著者・青木

先日実施したアンケートでもご意見を頂きましたが、この経済不況が、どのようにアメリカ経済・サイエンス界に影響をもたらすのか、多くの方の関心を集めています。それに関連して、杉井さんが「時事ニュース:アメリカ景気対策法案が成立、サイエンス関連は?」と題してまとめてくれました。カガクシャネットのウェブサイトより、ぜひご覧下さい。(編集・山本



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執筆者紹介
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青木敏洋 (Toshihiro Aoki)
カガクシャ・ネットでのタイトル: カガクシャ・ネットアドバイザー

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2013年11月24日日曜日

アメリカ理系大学院留学を実現させるためのノウハウ ~修士・Ph.D. 課程の選択~

※今回は過去のメルマガから人気の記事(2010年10月 Vol.53)をピックアップして配信しています。

10月を担当させていただく今村文昭です。皆様、日米はともに連休だったかと思います。どのように過ごされましたでしょうか?ボストンは紅葉がすばらしく、快晴で、とても快適でした。

今回の記事も、先月の青木さんの紹介に引き続き、「理系大学院留学 -アメリカで目指す研究者への道」から、「修士・Ph.D. 課程の選択」について紹介したいと思います。また、本に記載された内容に加え、私の経験によるちょっとした考えを紹介したいと思います。

大学院留学を考えておられる方、興味のある方にとって何らかの参考になれば幸いです。


アメリカ理系大学院留学を実現させるためのノウハウ
~修士・Ph.D. 課程の選択~

修士・Ph.D. 課程の選択


 修士・Ph.D. 課程の選択については、まず、日本とアメリカの修士課程の違いを認識する必要があります。日本の修士課程では、授業はあくまで卒業単位取得のために受けるものであり、基本的に研究が中心です。

 一方、アメリカでは、修了条件に修士論文が課されないプログラムも多く存在します。授業によっては、ファイナル・プロジェクトと呼ばれる、その授業に関連した研究課題に取り組む場合もありますが、日本とは異なり、研究が中心のカリキュラムではありません。

 従って、アメリカの大学院で研究することに主眼をおくのであれば、Ph.D.課程を選んだ方が良いでしょう。

 ただしアメリカの大学院では、Ph.D. 課程であっても授業に割く時間は日本より多くなるため、研究のみに専念したい場合は、日本で博士号を取得後、ポスドクとして、アメリカへ研究留学するという道もあります。

 アメリカでは、このようなプログラムの特徴(修士課程:ほぼ授業のみ、Ph.D. 課程:授業+研究)があるため、どちらを選択するかということが、学位取得後の進路と密接に関わってきます。

 アメリカでの就職を考えるなら、修士のみ修了した場合では、高校の先生、投資銀行、特許事務所、コンサルタント会社、研究支援産業の営業、販売促進と、研究には直接関わらないポジションとなる可能性が大きいでしょう。

 修士取得後に研究職に着任する場合は、Ph.D.取得者の下で働く必要があったり、技術補佐員(technician)扱いだったり、待遇面や権限の違いが生じる可能性が高いので、それらも考慮に入れた上で、自分に合ったプログラムを選ぶ必要があります。

 一方、Ph.D.を取得しておくと、社会的に一人前の研究者とみなされるので、製薬企業、シンクタンク、製造業、国立研究所、大学など、直接研究に関わるポジションに、それなりの権限を持って就職する傾向にあります。もちろん例外もあって、修士卒業でもかなり優秀な場合は、企業や大学においてPh.D.取得者と同じようなポジションで研究している人もいます。

 注意点として、日本ではどの分野においても、修士・博士の両課程がありますが、アメリカの場合、特に生命科学系などにおいては、Ph.D. 課程しか存在しない場合があります。

 また、Ph.D. 課程では財政援助が一般的であるのに対して、修士課程ではその人数が限られていたり、財政支援があっても、Ph.D.課程のものには及ばなかったりする場合もあります。修士論文の提出が必要とされない、授業履修のみで修了できるプログラムの場合、財政援助は非常に限られている、と考えた方がよいでしょう。

私(今村)の経験による事柄

上記のように、研究者としての価値、卒後の就職に、修士課程を出るか、博士課程を出るかは大きく異なってきます。基本的に、米国において修士号のみ持つ人が研究者としてみなされることはほぼ無いでしょう。

 では、研究者を目指す人にとって、修士課程の価値とはなんでしょうか。

 種々の案があるかと思いますが、私は修士課程は専門性を定める分岐点として価値があると思っています。

 私は、日本で理工系の化学を専攻しておりました。(それこそ先日、ノーベル化学賞を受賞された北海道大学の鈴木章名誉教授と米パデュー大学の根岸英一特別教授が確立された領域です。)

 私は理工系の道を外れて、生命科学系の応用分野に貢献できる領域で研究したい・・と思い、北米の栄養学の修士課程に進みました。

 私は研究者にはなりたいと思っておりましたが、実は、どういう研究がしたいという具体的なアイデアは無かったのです。とにかくも、化学を生かせてなお、一般社会に貢献できる領域と思っていました。栄養学・環境学など、頭にありました。

 そして修士課程において北米大学院レベルの教育課程で栄養疫学という領域に惹かれその道博士を取る道を選びました。栄養疫学、および疫学は、日本では教育課程も歴史の浅い領域ですので、結果的に大正解でした。

 私はそんな道を歩んできたので、米国の修士課程について、私がそうだったように、「研究者になりたいが、学士を取った時点で自分の道を決めたくない/決められない」という人にとって向いていると思っています。

 研究者を志す人にとって、専門領域分野を変えたりすることには、やはりリスクが伴いますが、北米の大学院は、強い意志と(潜在的な)実力があれば、専門領域を変えることは容易です。

 北米大学院の修士課程では、多様な選択肢を思い描くこと、さらにいろいろな志を持った人が同じ学を修めることを可能です。北米の大学院の1つの魅力ではないでしょうか。


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執筆者紹介
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今村文昭
上智大学理工学部化学科卒業(2002年)、コロンビア大学医学部栄養学科修士課程卒業(2003年)、タフツ大学フリードマン栄養科学政策大学院栄養疫学博士課程卒業(2009年)、2009年よりハーバード公衆衛生大学院疫学部門にてPost-doctoral Fellow、2013年よりケンブリッジ大学Medical Research Council の疫学部門にて研究者として赴任
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2013年11月16日土曜日

UCL大沼教授インタビュー後半「イギリスで研究すること」




カガクシャネットヨーロッパ支部は2013年8月18日にそんな大沼教授にインタビューを行い、前半部分で大沼教授の、若い世代の日本人へ向けた活動の動機や、現在に至るまでの教授のキャリアについて伺い(インタビュー前半:「海外に出て研究することの意味」)、今回の後半部分では日本とイギリスの研究の質の違いや外の世界に挑戦するためのアドバイスなどを伺いました。

大沼教授インタビュー後半「イギリスで研究すること」

イギリスと日本の研究環境の違い

若林:先生が働いてこられて感じていらっしゃるイギリスでの研究環境と日本での研究環境、それぞれの長所はどういうものがあるとお考えですか。

大沼:イギリスは気楽だよね。自由にできて。海外にいたほうが自分らしくいられるような気がする。日本は日本なりのいいところがあるけれど、日本だと多少疲れるよね。例えばUCL関係者だけでも20数人のノーベル賞受賞者が居るわけだけど、その人と話をする時に何も気を使う必要がないよね。日本国内だとノーベル賞をとったら神様みたいになってしまうから同じ感じでは接することが難しくなる。上下関係、年功序列はもちろんイギリスでも同じだけど、それプラスもっと自由にできると思う。

もうひとつのイギリスの利点は研究室あたりのメンバーの数が圧倒的に小さいこと。イギリスは一人のボスが直接面倒を見れる人は生物系に関して言うと6人と言われている。6人以上の人を面倒見れる能力のある人はそんなにいないと。だからだいたい研究室って6人くらいのサイズにデザインされていて、イギリス政府のグラントもPh.D.の学生がその研究室に3人がいたら4人目は基本的に取れないようになっている。研究室あたりにだいたい3人くらいの学生しか一人の教官は責任をもって面倒は見れないと。その代わり教官はそういう人たちは責任をもって育て上げる責任が課せられる。ドロップオフさせてしまうと、その研究室はペナルティで次に学生を受け入れられなくなる仕組みがある。学生にとってみると、教官との質の高いコミュニケーションの取れる指導を受けられるという良さがある。だから我々教官の立場としては、確実に学生がどうやって行くかというかというものをフォローして、データが出てかついい仕事で論文になるように持っていかなくては行けない。

一方で研究のシステム自体をみてみるとなんとも言えない。研究費だけを見れば日本のほうが豊かなことは確かだし、仕事の安定性も日本のほうがいい。そして、日本ではよりたくさんの人が大学院にいけるという点もある。こっちはお金の数しかポジションがないわけだからね。Ph.D.とか本当の数というのは限られてしまって、常に競争に勝たないと勉強さえ出来ない。例えばstudentship対象の学生を募ると200人とかが応募してくるけれど、その中から1人とかしかとれないからね。みんな何箇所にも応募するから確率は簡単には言えないけど、かなりの競争にさらされている。これはイギリス人でさえも皆苦労してるからね。グラントを持っていないPIもたくさんいるよね。

若林:2008年くらいからですね。

大沼:そう。政府の予算がカットになった後とか。ウェルカムトラスト(*1) がプロジェクトグラントを廃止してイギリス全体の生物医学研究費の予算の四分の一がなくなった。そしてそれと同じくらいを占めていたキャンサーリサーチUK (*2) もプロジェクトグラントを止めた。マイナーな領域ではあるけれども、基本的には主要なところはやめてしまって、なくなってしまった。すると、皆が政府の予算や他のチャリティに流れる様になって競争が一気に激しくなった。それに加えて生物医学系は過去20年くらいの間に教官の数が異常に増えた。そういった背景があって生物医学系の人達はグラントがとれなくなってしまった。

これはケンブリッジ、オクスフォード、インペリアル、UCLのレベルでもみんな苦労している訳で、もう少し下のレベルになると、デパートメント全体でグラント一個しかないとか、ポスドク一人しかいないとか、とんでもない状況なところはいっぱいあるみたい。

若林:そうすると、独立した後も安穏とできないというか、常に走り続けるということが必要なのですね。

大沼:まあそれはしょうがないね。ある程度の所までは走り続けていって、ある程度の所まで行ったらのんびりと研究できる安定したポジションを作って欲しいとは思うけどね。60歳くらいになって自分の研究が評価されて、ばりばりお金を持っている人達はいいけれど、そうでない人もいて、それでもフルタイムで研究しなければいけないのはきついよね。だから、それなりのポジションをイギリスも作った方がいいのではないかと思うけどね。

一方で日本では教官は守られているが故の弊害もあるけど、良いかどうかは別として今は色々変わってきているよね。例えば助教がみんな任期付きになった。あれもきついよね。任期付きで5年とか経った後に無条件でクビだよ。中にはあがれる人もまれにいるけれども、研究やっているところなら基本的にはほとんど皆そこでクビになってしまう。

システムとしてアメリカ型のテニュアトラックにして、最初の6,7年はお試し期間として雇って、その期間が終わった時にこれくらいの割合の人は残しますよと言ったら良いと思う。そのテニュアトラックのシステムにしようとしているところはあるけれど、まだ完全にはなっていない。だから助教の人達は苦しんでいるよね。


研究者にとっての家族と生活


大沼:大学の教官って本当に必死に働いているじゃない?一般の人から見たら遊んでいると思われていると思うけれど。そして、死ぬほど働いているけれど給料はそんなに高くない。そんな普通の給料しか貰えないでいて、それでも年取ってからもプレッシャーの中で生きなきゃいけないのはきついよね。そういうのを見てると皆、「研究の仕事でやっていく」という意欲を失うかもしれないね。日本の状況を見ると、準教授、教授になると職は安定するから良いけれど、それでも彼らは死ぬ気で働いているよね。

若林:日本では家族生活を犠牲にしているようなところが、一般にはありますね。

大沼:だから、ある程度のところになったら、家族生活を普通に維持していけるようにしないと。だから、統計的にはわからないけれども、日本の大学の教官というのは家族がたくさんいて研究と両立している人は少ないと思う。そういう点ではイギリスでは家族に時間を使うのは当たり前だという概念になっているからいいよね。ケンブリッジに最初に行って驚いたのは、色んな重要な会議があっても、子どもをピックアップしたりということがあると優先的に会議を出ていって構わないという。日本だったら「なんだ、会議に真面目に出ないで・・」とか言われるじゃない?それが、こっちだと「なんでそんな時間に会議をオーガナイズしたんだ!」と、オーガナイザーの方が怒られるわけじゃない?その辺が違うよね。

だからここでは女性も多くの人が研究室を持てる。UCLも半分くらいが女性だからね。ケンブリッジにいたときも教官は半分くらい女性だったし、女性でも全然困らないという。僕と同期で入った女性の教官なんて6年の間に4人子ども産んだもんね。イギリスではそれらを両立してやっていける。

若林:それがシステム、制度としてサポートされているのですね。それが当然になると働く女性のストレスがなくていいですよね。

大沼:うん、こちらではストレスは少ないと思うよ。

若林:日本でも少しずつ方向は変わってきてはいるけれど、家庭を維持しながら仕事をする為には、まだ女性は職場で戦わなくてはいけないというのがあるように思います。

大沼:日本で教授をしている女性はそれなりにいるけれど、家庭を維持しながらやっている人は限られている。独身だったり、離婚していたり、仕事を続けるためには他のものを犠牲にしなければいけないという感じになってしまっていて。本人がそれが好きならば構わないけれども、こういった体制ではみんなが研究やっていこうという方向には行かないよね。

若林:その道に進むか進まないかを考える上で、若い人達はそういった、その道が人生として本当に楽しめるかどうかということを鋭く見ていますよね。


海外に出ていく人たちへのアドバイス

大沼:日本の若い人達は海外に出たらいいよ。だって、能力的には海外で全然教官になれるよ。日本で教授になる方が大変だよ。本当にいいところに凄い数の論文出さないといけないとか。海外だったら結構色んな所の教授のポジションになれる人がいると思うよ。そうやって、海外で自分の好きなことをやらせてもらえるなら、日本を出ればよい。

若林:実際に大学院生をリクルートする時に、アプリケーションが来る際に、日本人、イギリス人、中国人など、国別に特徴をなにか感じますか。その特徴はどのように選考に反映されますか。

大沼:皆、長所短所はあって、基本的には研究テーマに応じてベストな人材を選ぶ。例えばPh.D.の学生のポジションは日本とは違って、僕らはグラントをとらないと学生は取れないので、もうテーマは決まっているから、それに最適な人材を選ぶという形。そこには国籍による優劣は感じない。重要視するのは、ひとつは面接。自分の意見や考えをきちんと表現できて話がきちんとできて、高いモチベーションを持っているかどうか。それに加えて、うちの大学院に入る前段階で、学部などでどのくらい論文を書いているかということが大きな選考基準になる。実験をなんとなくダラダラやる人はいっぱいいるけど、それをまとめて論文にすることがいかに違うかということを多少でも理解している人じゃないと難しい。

だから仕事をまとめて論文にする能力が重要。学部時代はボスの影響も多いけれども、やっぱり優秀な人達はそれなりの論文を書いている。例えば最初に一緒に仕事をしたマスターコースの学生は、学部時代にネイチャーで書いているし、彼は僕と一緒にCellに論文をだして、そのあとハーバードでドクターを3年かからずに終わらせて、その間にネイチャーセルサイエンスなどを3,4報書いててやはり目立って出来る。本当の能力のある人達を探し、そしてその人をいかに更に伸ばしていくかというのが我々の仕事。そこで日本人が海外の大学でPh.D.で純粋に入りたいとしたら、自分のことをきちんと出来る人ではないとこっちの競争で選ばれづらい。

若林:先生のご経験から、志望してくる日本人の学生の弱みをあえて指摘するのであればなんですか。

大沼: 面接の能力というのは日本人は基本的に英語がハンディキャップになっていたりするから、そこにおいて本当に優秀かどうかはこっちの人には完全には分かり得ない。だからこそ、そういう人たちを支援してくれるようなstudentshipとかがあればいいとはおもう。今我々は150周年記念事業(インタビュー前半を参照)で、イギリスに留学する学生にいくらか支援できるようなフェローシップを作りたいとは思うけどなかなか難しい。政府が出すのが一番いいのだとはおもうけれど、そういう意識はまだ少ないね。色々な人はそう思って入るけど、現実としてはなかなか動かない。

だけど、それ以上に大きな弱みがひとつある。それは、多くの日本人は個として独立していないこと。もちろん全員ではないけれど、独立していない人達が大多数を占めている。多くの人達は弱いというか幼いというかそういう感じがしてしまう。こっちでPh.D.に入ってきた人達は、最初から独立していて自分で研究をやる。色々なことをやっても自分の責任で自分でかたをつけることができる。例えば学会発表とか行くときに、日本の大学だと発表の練習だとか色んなことをやるじゃない?こっちではやらないよね。基本的には個々に任せているから、学会に行くときにボスが一緒に学会に行くこともないし、勝手にお前行ってこいという感じで。だから個々がね、日本はまだ幼いね。

若林:一方で、先生が見たところは、サイエンスの能力に関しては変わらないということですね。

大沼:ただ、教育の影響を受けて一つ違うのは、欧米の子どもの方がものを考える能力、ものを文章にしたりとか、発表したりとかの能力は上だね。ただこれはもちろん根本的に能力の問題ではなくて、トレーニングの有無の問題。日本人は記憶して、正確な答えを書く能力は上だよ。欧米人は、覚えろと言う教育はしていないから、そこが違いなのかなっていう気がする。

若林:今の高校生、大学生がそんな弱みを克服するためにはどうしたらよいとおもいますか?

大沼:難しいね。もっと前の段階から違うからね。だから我々は少しでも彼らに経験を持たしてあげようと思って色々やっている。例えば毎年ケンブリッジでサイエンスワークショップ(UK-Japan Young Scientists)をやっていて、そこでは今年は30人くらいかな、日本から高校生が来て、こちらの高校生とミックスして6人くらいのグループを10個くらい作って一緒に何かをやらせる。予めテーマというか好きな話題を聞いておいて、例えばケミストリーが好きな人はケミストリーのデパートメントに行って一週間くらい実験をしてもらう。生物系は生物のラボに行って、数学の人は数学で。そうやってイギリス人の高校生と一緒に実験をして最後に発表会をやらせる。最初の日は日本人はやっぱりおとなしいね。でもね、一週間経つと全然別人になるよ。そういうちょっとした経験でも変えることはできるのかなと。中には「よし、今回面白かったから、海外に留学してみたい」といって、「どうやったら行けるのですか」という具体的な話にもなったりする人も出てくる。現実的に本当に決まる人はいないけれど、でも興味を持ってくれる人達は出てくる。

若林:多分そういう早い段階でそういうインスパイアされる経験があると、そこからその人の成長の微分係数がぐぐっと大きくなって変わるということがあるのですかね。

大沼:それでも我々ができるのは本当に微々たるもので。数十人しかできない。だからこそ、根本的に日本国内で何かを変えてくれないと結構難しいのかなと言う気もする。

若林:最後に今の若い人達へのメッセージをお願い致します

大沼:何を言ったら良いんだろうね。日本は国際社会の一員であるわけだから、その中で活躍することも選択肢の一つとして持ってくださいということですかね。

若林・江口:今日はありがとうございました。




*1: ウェルカム・トラスト: イギリスに本拠地を持つ医学研究支援等を目的とする公益信託団体。民間団体としては世界で二番目に裕福な医学研究支援団体。トラストの使命は、人および動物の健康増進を目的とする研究を助成することにある。また、生物医学研究への資金提供に加え、一般の科学理解を深めるための支援もしている。

*2: キャンサーリサーチUK: 英国の大規模医学研究チャリティー機関。バイオメディカル研究チャリティー機関として、研究助成額がウェルカム財団に次いで英国で二番目に大きく、多くの大学の研究者がCRUKから研究助成金を受けている。



プロフィール

大沼信一教授 略歴
東北大学化学系を卒業後、生物有機化学を学びバイオテクノロジーの分野における研究に従事した後に、University of California, San Diegoに留学し脳神経科学の研究を始める。翌年ケンブリッジ大学に移り発生生物学を専門とし、その3年後に癌学部に新設されたHutchison/MRC Research Centreでグループリーダーとして独立。2007年からはUCLの眼科学研究所で教授。

インタビュアー

江口晃浩
カガクシャネット スタッフ。計算神経科学の分野で、2012年よりオックスフォード大学にて博士課程に在籍。ブログ「オックスフォードな日々

若林健二
カガクシャ・ネット 副代表ヨーロッパ代表。医学研究に携わり、2011年インペリアル・カレッジ・ロンドンにてPhDを取得し。現在は東京医科歯科大学グローバルキャリア支援室特任助教。



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2013年11月11日月曜日

UCL大沼教授インタビュー前半「海外に出て研究することの意味」



ユニバーシティカレッジロンドン (UCL)の大沼信一教授は、眼科学研究所の教授として研究をされる傍ら、「どうすれば日本を真の国際化に導けるか」というテーマのもと、最近の日本における若者の内向き志向、海外離れに歯止めをかけるべく様々な活動に取り組まれていらっしゃいます。大沼教授は日本で大学・大学院を卒業された後アメリカに渡り、その後イギリスに移ってキャリアを重ね、ケンブリッジ大学で独立し、現在はUCLで研究と教育を行っています 。研究分野も有機化学から始まり、バイオテクノロジー、発生生物学、癌研究、眼科研究と渡り歩いてきた異色の経歴の持ち主でもあります。

カガクシャネットヨーロッパ支部は2013年8月18日にそんな大沼教授にインタビューを行い、前半部分で大沼教授の、若い世代の日本人へ向けた活動の動機や、現在に至るまでの教授のキャリアについて伺い、後半部分では日本とイギリスの研究の質の違いや外の世界に挑戦するためのアドバイスなどを伺いました。

インタビュー前半:「海外に出て研究することの意味」

国際社会における日本の役割・日英学術交流150周年記念事業

江口:大沼教授は研究の傍ら、日本の学生達の留学促進などのボランティア活動を精力的に行われていますが、それはいったいどんなモチベーションに基づくのでしょうか。

大沼:モチベーションは、あまりにも今の状況が悪すぎると感じているところにあるかな。日本人の若い人たちが海外に出ないということが顕著で、若い人で国際社会で活躍しようという意欲のある人達がほとんどいないと感じているから。海外に出たとしても、そのほとんどが日本に帰ってしまう。個人的な意見で言うと、日本人も国際社会の一員な訳だから、国際社会の一員としての義務を果たすべき。日本も国際社会の他の皆と一緒になって、一員として国際社会全体を繁栄する方向にもっていかなくてはいけない。そういう国際社会のリーダーに成りうるような日本人をもっと増やさなければいけないと思っているんだよね。

国際社会で、各国の人たちと英語で対等に話しやっていける人をどのくらい日本の政府は作ればいいかという話は、日本国内でもいろいろな話があって、ある意見で言うと、もし日本人の一割が英語で普通に会話ができるようになって、4%ぐらいの人が国際社会で活躍するようになれば、500万人位の日本人が海外に出て国際社会で貢献できるくらいの社会になるという。そして、そうすればイギリスやアメリカなどと同様なバランスになると言われている。今の日本はそういう状況には全くなっていない。

少なくとも我々アカデミックで研究する上でおいて、例えばハーバード、ケンブリッジなどの全てのデパートメントに中国人やインド人の教授がいる。彼らは人口が多いということもあるけど、今はかなりのところに韓国人の教授もいる。一方で、日本人の教授はほとんどいない。また例えばビジネスの世界においても、日本の、特に国際化が必要な大手企業のほとんどには外人の取締役がはいっている。でも、欧米の大手企業で取締役をやっている日本人の話はあまり聞かない。何故こういうことが起こるのかというと、そこには理由がある。

国際社会の仕組みの根本を考えてみると、例えばケンブリッジ、オックスフォード、ハーバードなどのクラスメート達がそこでネットワークを作っていて、色々な所で会社等の良いポジションを皆でシェアしあっているという現実が少なからずある。問題はそこの段階に日本人がなかなかはいっていけないこと。そんな現状があるからこそ、学部くらいの若い段階で世界の将来リーダーになるような人たちが集まるようなところにまずは日本人を送り込むということが重要なんじゃないかと思う。

日本人は他の国でもやっていけるくらい充分に優秀であることは明らかなので、それを活かしていないのはもったいないと思うね。だから、政府がもっと戦略的に「海外に出る」「出た人に海外でポジションを取る」ということをエンカレッジしてくれたらもっといいかもしれない訳だよね。でも残念ながら簡単にはそうはならないね。今のこうした状況から抜け出すためにも、少しでもどうにかして何か手伝えることがないのか、というのがこの活動の大きなモチベーションになっているね。



江口:今年は特に、長州五傑の渡英150周年ということで、大沼教授を中心に様々な記念事業が企画されていますが、それらも同じモチベーションに基づくのですか。

大沼:そうだね。現状を打開するためにはどうすればいいかといういろいろな方法を考えて実行していかなくてはいけない。考えているだけでやらなければ意味はないので、この150周年というのは、日本の若い人が海外に出るという事に興味をもってもらうためにはある意味では最もいいチャンスなんだよね。日本がまだ鎖国をしていた江戸の後期、経済には問題があり、国内戦争も勃発寸前。海外の人達は開国をせまり、国内は議論でも揉め、海外とは部分的に闘ったり。この時代は今ととても似たシチュエーションなんだよね。

その時代に、薩摩や山口、長州の人達、また江戸幕府の中でも「我々は国際社会の中で生きていかなくてはいけない」と気がついた人達がいた。そのためには国際社会の仕組みや新しい技術を早急に取り入れなくてはいけなかった。どうやったら日本がその後成り立っていくのかというそういう視点に基づいて彼らは戦略的にやったんだよね。だからイギリスと組んで、それを上手くやっていくことを考えたわけだよね。

若林:この話で興味深いのは、まず薩摩の人たちがきて、その後に長州の人たちがきて、国内では犬猿の仲であった人たちが海外に出ると学閥、この場合は藩閥を超えて「日本」を意識し始める。日本の細かい枠組みの中では対立があっても、外に出ることで日本の中で設定されている枠組みからフリーになってもっと大きく考える様になるんでしょうね。

大沼:海外にいると外から客観的に見るようになるからね。彼らの後には江戸幕府さえも続いてこの次の日本をつくろうという流れにつながった。日本国内にいてずっと研究をしていたら、自分の企業や大学、デパートメントのことしかやらずに一生終わることもある。海外に出ると日本全体のことを考えて物を見られるようになるから、だからもっと大きな枠組みで物事を考えるようになる。彼らも海外に出て、海外から日本全体として日本という国がどうなっていくかということをみたから、日本全体を救うために彼らが日本を作れたんだよね。あれを日本国内の人たちがやったら、戦国時代のようなものが続くだけだったかもしれない。

何故今、海外留学なのか

大沼:驚くことに明治初期の時代に留学していた日本人は2万人くらいいるからね。そんなにも多い人が留学していて、そういった彼らが今の日本を作ったという歴史がある。その時代、彼らは日本が国際社会の中で確固たる地位を確立できるために交渉に駆け巡り、国際社会の色々な機関に戦略的に日本人を送り込んでいる。そうして日本という世界の列強の一つを創りあげたからこそ、今の日本がある。だから今の日本が、国としてどういった方向でいかなくてはいけないかというビジョンをもう一回見なおすという意味で、この150周年というのは最適な機会なんだと思う。これを通じて多くの若い人たちも、国際社会の中で生きるということの重要性に気づき、「俺も同じようになりたい。」と思ってくれたら何よりだと思う。ただ、なかなか難しいのかもしれないけどね。

江口:それはなぜ難しいのですか。

大沼:今の日本の環境では、若者がそういったことにモチベーションを見出すことが難しいんじゃないかと思う。例えば日本人の高校生に「あなたは日本の総理大臣になりたいですか。」と聞いて、いったい何人がなりたいと答えるのだろうか。少なくともアメリカだといるとおもうんだよね。日本はどうしてもサラリーマンや公務員のような安定した仕事に就きたいという人の割合が多く、「将来自分は日本を担っていくんだ」という人が少ないんだと思う。

江口:江戸時代に密航は死罪と知りながらも、命を賭けてまで国を背負って飛び出していった若者たちは、今の人達とは何が違ったのだと思いますか。

大沼:本質的に何かが変わったのではなく、環境さえ変われば日本人はやるんだよね。例えばサッカー選手の場合、日本で活躍する選手に「海外でプロ選手になりたいですか」と聞くと恐らく多くの人は「もし機会があればやりたい。」と言うと思う。或いはフランス料理などの料理人の場合、「フランスで修行したいですか。」と聞けば、彼らもやはり「やる」と答えるのだと思う。だから今の若い人が、本質的に海外に絶対出ない、という流れでもないと思う。学術分野で外に出ていくことに関しては、はっきりとしたビジョンが見えづらいような環境にあるのだと思う。

若林:料理人やサッカー選手は個人として独立した職業である一方で、組織に属しているようなアカデミアの人たちはコネクションが切れてしまうことを恐れ、それが踏み出せない理由に繋がるのかもしれませんね。

大沼:料理人であっても、海外にでたらそういう意味でのコネクションは切れてしまうと思う。向こうで活躍して有名になって戻ってくるから次のいいポジションがあるわけで。大学関係だって、本当はアカデミックで海外をでて日本とのコネクションが切れるわけでもなんでもない。実際には海外に出た人のほうが明らかに日本国内に戻った時にアカデミックポジションを取れる確率は圧倒的に高いと思う。日本国内でドクター、ポスドクをやった人で一体何%との人がポジションを取ることができるだろうか。僕は、海外に出た人たちはほとんど皆とれていると感じている。

若林:カガクシャネットのメーリングリストなどで、日本の学部生たちから「海外に出てしまうと日本に帰れなくなってしまうんでしょうか。」というような質問も多いのですが、どのようにお考えですか。

大沼:その概念を一体誰が作っているかが問題だよね。それは全くないと僕は思う。よっぽど悪い大学や、海外に遊ぶことを目的で来るような人たちには難しいかもしれないけれども、欧米の大学に留学して本当に就職がなくて困っている人はいないと思う。UCLやケンブリッジに留学して、どこにも帰るところがないという人を少なくとも自分はみたことがない。大体の人は日本に助教として戻って、数年後に准教授になって、そして気づけば教授になっているなんていうのがほとんど。帰国後すぐに教授になる人もいる。それが現実なのになぜか逆の印象を持たれがちなんだよね。日本人に情報提供しなくてはいけないと言うじゃない?たとえば今誰かが、国内出と海外出のポスドク、アカデミックポジションを取った人の数を比較した統計を出してみるのは面白いかもしれない。明らかに外を経験したカガクシャのネットのメンバーの様な人のほうが日本国内でポジションをとっているんじゃないかな。

多彩なキャリアの歩みを振り返る

江口:こういったような現状の認識は、大沼教授はUCSDに行かれた時にはすでに持っていましたか?

大沼:その時はまだ若いから、自分が何をやりたいかというものが主だったね。でも、若い人はそのほうがいいと思う。自分が本当にやりたいこと。自分は何をやりたいのか。僕は工学部で助教をやってた時に人生において今一番大きなチャレンジングな仕事をしたいと思っていた。そして本当に自分が何をやりたいかと考えてみると、思ったのは2つあってひとつは「脳を作ってみたい」ということ。自分で脳を作ってみて、脳が出来る仕組みを理解したい。コンピュータ関係のニューロサイエンスではなく、個体として働く脳を作りたいというのがあったんで、脳を作れる研究の基礎をやっているその分野で有名な20~30人ほどの教授にメールをして、すると10人くらいの人がポジティブな返答があった。その中で一番丁寧な長いメールを送ってくれたボスがいて、「この人はよく考えてくれているからここにしよう」と決め、会いもせず電話もせずお金もらう話さえも何もせずに、「では12月に行きます。」と渡米してサンディエゴUCSDで脳の研究を始めた。

もう一つ思ったのは、「癌の治療法の開発を目指したい」ということ。だからケンブリッジ大学に移ってきてからは、脳の研究をやりながら癌との関係をもっと調べ始めて癌の部門で教官になった。今ではUCLで、脳の出来る仕事と癌の教授も兼任するようになった。だから自分でそうやろうと追った方向に無事向かっている。

江口:新しい分野に入る際に不安はありましたか。

大沼:なかったね。すべての学問領域は基本的には同じだと思う。何が違うかというと、そのそこにあるバックグラウンドの知識が分野分野によって多少違うだけであとは物を論理的に考えて論理的に説明して話をできれば同じなんだよね。その知識というのはだいたいどの分野でも一年いればエキスパートになれると思う。例えば大学に入ってマスターコースかなんかで実験始めて、その研究室の一年の勉強で2年生の頃にはもう皆基礎はできているでしょう。その分野を理解するために、たったの1年しかやっていないんだよね。だから次の分野に移る時に一年間気合を入れて勉強すればその分野の知識は全部入るし、後は自分のテーマをどう設定するかを考えて、僕の場合は自分のチョイスでできる所を選んでポジションを選んできた。

若林:先生はだいたい3年毎に様々な所を転々としていらっしゃいますね。3年という期限を最初からさだめているのですか。

大沼:定めていなくて、自分にとって3年というのが新しい分野でいい仕事をできるようになる時期なのだと思う。次に自分が何をやりたいかということを考えるためには、それまでにやっている分野でいい仕事をしないと移っても意味が無い。前の分野でいい仕事をしないで移ると、その分野が合わないからうつったという感じになるわけじゃない。だからその前の分野でいい仕事をして、そのいい仕事をし終わった後に次の分野に進むというのが理想的で、そうなると前の分野でそれなりの数の論文を出さないと意味が無い。だから新しい分野に移って一年ほど勉強して、実験しながら2年目くらいでテーマ決めた仕事をまとめて、3年目くらいに論文をだして、そうすると次に何をしたいかということが見えてくる。

若林:仕事が終わった頃に、自分の中に違うことをやりたいというような気持ちがわいてくるのでしょうか。

大沼:湧いてくると言うよりは、何を自分がしたいかだね。同じ事を繰り返すような人生の無駄はしたくはない。新しい分野、新しい分野、と開拓していく。僕は新しいことやそれに関する知識を頭に入れることが研究者として一番楽しいことだと思う。そのためには勉強して知識欲を満たすことで研究をしたい。だからそこを単純に追いかけてきたら結果として毎年3,4年くらいでテーマが変わってきていた。ただ、これは同じ研究を続けている研究者を否定するものではなく、一つの分野を究極的に追い続けるのもすばらしいと思う。いろいろな研究者がいることにより、多様性が生まれてくるのではと思う。

若林:振り返ってみると、そのサイエンスに対する強烈な興味というか、この世界が大好きで大好きでという思いはどういうところから来たのだと思いますか。

大沼:大学4年で研究室に配属になってからだね。3年生までは何をやっていいか、本当にやりたい何かがわからないところがあってね。昔から生物をやりたいとは思っていたけれど、本当にコミットメントしてやろうとは決まっていなくて、研究室に入って有機合成をやってみて、すごく面白いことを知った。朝から晩まで実験室で研究すると結果が出てきて、自分で考えたことがものになって出てくるわけじゃない。4年の時にはボスの助けもあって2つも論文を出せて、やったものが論文にもなるし評価もされるし、これはおもしろいなというその思いが強かった。ただ4年の時から自分が本当にやるものは何かということを常に考えててた。4年に有機合成をやってたけれど、マスターにはそこの研究室の上には上がらなかったしね。

若林:先生ご自身の中で4年生時の指導教官こそが自分の興味を着火してくれた人だったんですか。

大沼:ボスとは未だにメールでやり取りしているし、この前も遊びに来てくれたり、講演会をやるというと来てくれたりしてとてもいい関係。メンターとして影響を与えてくれた人は当時のドクターの学生だったかな。彼のボスがいい指導教官だったし、彼は研究が全て生活の一部のような感じの人だった。

指導する立場になって

若林:先生ご自身で、指導されている学生も多くなったわけですよね。先生ご自身の中で下の人を見る時に心がけていること、こういった指導をしようとか言うような信念は自分の中で何かありますか。

大沼:基本的には我々は研究者を育てようというのが趣旨なので、日々のディスカッションや色々なタスクを与えるから最初は皆一年目は苦労するよね。2年目、3年目になると、もう完全な研究者になって、ここまで変わるかな。と思うくらい皆変わるね。ドクターで入ってきた学生を見ていると、一年目と最後の四年目では研究者という意味で全く別人になるわけなんだよね。

若林:自分の下にいる人達を自分のところにおいて置きたいというような思いはあるのですか、それとも巣立っていくことを喜びと感じるのですか。

大沼:抱えておきたいという気持ちは全くないね。東北大で教えた時も、例えばマスターの人がドクターに上る時に残れとは言わなかったね。むしろ外に出ろと言っていた。一人はオックスフォードに行ったし、国内の他の大学に行った人も結構いたし、優秀なのは出たほうがいいと言っていた。日本は保守的で同じ人を自分の周りにとどめておこうという流れがあるじゃない。それはいいところもあるけれど、個人的にはそうはしていなかった。こっちでも残った人は誰もいないし、皆どこかに出て行く。

若林:それは先生ご自身の経験の中で色々な人と接していくということが研究者としての成長として重要という認識があるからでしょうか。

大沼:なんとも言えないよね。人によると思うけど、私としては常に回転して、新しい人を育ててまた次の人をとって、それが自分の仕事だと思っているところがある。


..インタビュー後半「イギリスで研究すること」に続く(追って公開予定)


プロフィール

大沼信一教授 略歴
東北大学化学系を卒業後、生物有機化学を学びバイオテクノロジーの分野における研究に従事した後に、University of California, San Diegoに留学し脳神経科学の研究を始める。翌年ケンブリッジ大学に移り発生生物学を専門とし、その3年後に癌学部に新設されたHutchison/MRC Research Centreでグループリーダーとして独立。2007年からはUCLの眼科学研究所で教授。

インタビュアー

江口晃浩
カガクシャネット スタッフ。計算神経科学の分野で、2012年よりオックスフォード大学にて博士課程に在籍。ブログ「オックスフォードな日々

若林健二
カガクシャ・ネット 副代表ヨーロッパ代表。医学研究に携わり、2011年インペリアル・カレッジ・ロンドンにてPhDを取得し。現在は東京医科歯科大学グローバルキャリア支援室特任助教。


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2013年10月26日土曜日

Make it great or not, the choice is yours

America Expo(9/21)で配布した冊子「カガクシャネット 海外実況中継」より


3. 「 Make it great or not, the choice is yours」 (P6 - 8)
(ウィスコンシン大学マディソン校・教育学・若菜友子)



はじめまして。私の名前は若菜友子と申します。高校まで日本に住み、英語も中学校で習い始めたような、どこにでもいそうなごく普通の学生です。家族に留学経験者はいませんし、留学を考えたのも高校3年生になってから、という感じでした。そんな私ですが、この夏でアメリカで勉強するのも早7年目に入ります。

学部課程はアメリカ・アーカンソー大学フェイエットビル校で心理学を専攻しました。入学当初は国際関係学専攻だったのですが3年生になるころに心理学に変えました。心理学に専攻を変えてからは、社会心理学を専門としている教授のもとでリサーチ・アシスタントを卒業までの2年弱務めました。2010年の8月から2011年の5月まで在籍したハーバード大学の教育学大学院では心理学と人間発達を専攻し、特に心理学的アプローチから第二言語教育と国際教育について勉強してきました。そこで出会った友人や先生方は驚くほど優しく努力家で高い志を持っており、これほどまでに自分のやる気を引き出してくれる環境が他にあるだろうかと感動したものです。その一方、アメリカで修士課程のプログラムというと2年のものが多い中、ここではそれが一年と密であったこと、またやはりそこはハーバードというだけあって、勉強は本当に大変でした。そして現在はと言いますと、2012年の8月より、ウィスコンシン大学マディソン校でカリキュラム&指導学部の博士課程に在籍しています。いわゆるパブリックアイビーのうちの一校で、いくつもの湖に囲まれたとても美しい街にあります。博士課程ではひきつづき第二言語習得と国際教育について研究し、最終的には日本でのカリキュラム作りに生かしたいと考えています。将来、第二言語教育と国際教育二つを、両方とも効率的に身につけられるような学習体験を学生に提供するための学校環境づくりのお手伝いをすることこそが、私の究極的な教育現場への貢献の仕方です。

文系学生としての学校生活

それでは、文系学生としての大学院生活についてお話ししていきたいと思います。学校によって異なる部分も多いと思いますので、参考程度に読んでくださると嬉しいです。

現在博士課程に在籍しているウィスコンシン大学マディソン校と修士課程で勉強したハーバード大学では、学校と学位の種類こそ違うものの、授業の進め方自体はとても似ていると感じています。ここでは、ハーバードにいたころの授業の様子を簡単にご紹介したいと思います。

修士プログラムでは「授業を取ること」がメインで、学生が個人で研究に取り組むようなことはありませんでした。また、博士課程の学生と違い、修士課程では授業料や生活費を賄えるTA(ティーチングアシスタント)やPA(プロジェクトアシスタント)といった仕事をもらえることも少ないので、そのぶん博士課程の学生よりも学期あたりの取る授業の数が多い傾向があります。ハーバードでの一年間、私は秋・春学期それぞれに4つずつ、年間で8つ、32単位の授業をとりました。ちなみに、理系の学生がラボ・研究室で実験・制作に取り組んだりする一方、文系の授業にはそういったものがなく、あくまでも授業は教室で文献を読んでのディスカッションというのがほとんどです。

大教室でのレクチャーと小さい教室でのセクションとに分かれた授業もあります。有名な先生の大人気授業では一クラスに180人くらい学生がいましたがこれはかなりまれなケースで、たいていの授業では20~30人といったサイズです。どの授業も主に先生が講義をし、学生はどちらかというとノートを取るのに集中する「レクチャー」と、クラスを10~15人程度のグループにわけて行う日本でいうとゼミのような形態の授業の「セクション」の組み合わせでできていました。セクションは、レクチャーの直後の場合もあれば、一週間のいろいろな曜日・時間帯に振り分けられて自分に都合のいいセクションにサインアップすることもできました。各授業で出される課題のリーディングはレクチャーよりもセクションで話し合ったり、内容確認することが多かったように思います。ちなみにわざわざレクチャーとセクションを分けていない授業では、その3時間の中でグループに分かれて話し合う機会が何度もありました(つまりディスカッションのない授業はないということですね)。各セクションではたいていの場合、以前その授業をとったことのある博士生がTAを務めていました。TAの責任は重く、ときには先生の代わりにペーパーを読み添削・採点をします。

授業は、2時間なら休憩なしのことが多かったです。3時間のレクチャーの場合には、2時間終わったところで5分強の休憩が入りました。雰囲気はとてもカジュアルで、コーヒーやジュースの持ち込みはもちろんOK。授業が始まる直前まで軽い食事を持ち込んで食べている人もいました。先生も、かなりの頻度で飲み物を片手に授業に来ていたと思います。中には、わざわざクラスのためにレクチャーやセクションにお菓子を持ってきてくれる先生やTAも!このあたりは、日本ではありえない話かもしれません。授業では、パワーポイントを使う先生が多かったです。ただ、先生によって、このファイルをインターネットに載せてくれる先生とそうしてくれない先生がいました(後者の場合は、授業中に必死でノートをとります)。ノートにペンで書くよりも、ノートパソコンを持ってきてノートをとる学生が多かったように思います。

実際のところ、どれくらいの英語力が必要?

私が学部時代をすごしたアーカンソー大学は、日本で言えばちょっと地方の国立大学といった位置づけでした。それでも、求められる英語力はかなり高かったと思います。そもそも、英語という外国語で先生・クラスメートの話を聞き、頭の中で翻訳する作業をせずにそのまま理解し、その反応を瞬時に英語でするのですから、日本語が母国語の私たちにとって最初はとても大変です。例えばリーディングでいうと、修士・博士課程では本を100ページ程度、専門論文を8~10以上(ひとつ20~30ページ)、一週間で読んでいます。ちなみに、このリーディングの量は学部課程のころの2倍以上で、アメリカ人にとっても読みこなすのが大変なボリュームです。週末も返上で勉強しなければならない理由のひとつがこれでした。授業時間以外での一日の勉強時間は、私の場合ですが、平均的にアーカンソーでは8時間くらい、ハーバードとウィスコンシンでは10時間以上です。課題の量と時間が比例しないのは、年数を重ねるにつれて要領よくこなせるようになっていったからだと思います。
さて、ペーパーですが、大学院ではかなりの量を書きます。参考までに学部課程と修士・博士課程を比較して書いてみると、一学期間では学部課程で3~5ページのペーパーを各授業2~3つ。期末だけちょっと長くて各授業5~8ページ程度。修士・博士課程では8~15ページのペーパーを各授業3~4つ。期末は各授業15~20ページ程度。ちなみに、ページはダブルスペースです。そして、一学期間に多くて4つ授業を取っているということをお忘れなく。そう、やはり大学院で書く文章の量はとても多いのです。もちろん、文章の中身もちゃんとみられます。文法ミスなど初歩的なミスはアウトです。もちろん、文系の大学院受験にはほぼ必須であるGREに出てくるような難しい単語を使いこなせればそれにこしたことはありません。ひとつ、確実にいえることは書くスピードは大事だということです。キーボードをみないでタイピングするという意味ではなく、いかに文章をはやく練り上げていけるか、という意味です。人によってライティングのステップは違うと思うので、自分にあった方法を見つけることが大事だと思います。

最後にスピーキングですが、これもまた表現するのが難しいですが、いうとすれば「言いたいことをいったん頭の中で文章を組み立てることなく言える英語力」が必要だと思います。授業中はどんどんと話が進んでいきます。ゆっくりしているとあっという間においていかれてしまうので、積極的に発言しようとすることが大切です。とはいえ、実のところ私も授業中に発言するのは得意ではありません。勢いにおされて発言するタイミングを逃すこともたまにあります。しかし、大切なのはそれでもちゃんと何かを言おうとしているという姿勢を見せることです。クラスメートも先生も、私たちが留学生であることを理解しています。いくらやる気があって留学しにきたとはいえ、まったくもってネイティブの学生と対等にディベートできなくても、それはわかってくれます。聞いているだけというのは一番よくないパターンです。頻繁でなくても発言していれば、先生が自分にわざと答えられそうな質問を振ってくれることもあります。

何を得たか
今日まで約6年間アメリカで勉強し、博士課程に在籍するまでになった私ですが、留学を通して得たもので一番嬉しく、大切に感じているのは、実は知識や卒業証書ではありません。ひとつは「視野」です。知らなかった歴史、考え方、人々の生活、言葉…様々な「新しいこと」が、新しい場所に住むたびに私の中に流れ込んできました。一度地球規模の視野を見つけてしまったら、もう元の小さな世界に生きる自分には戻れないのだと実感しています。日本では今日でも「集団主義」が重んじられる場面があり、規定の枠組みを外れたほかと異なる意見は嫌われることもありますが、それだけではいい方向に進化していくことはできません。進化するためには既存のものとは違う考え方を吹き入れていくことが大切だと思います。留学を通して開けた視野を養うことは、社会でそういった新しい風が必要とされるときに、必ず役に立つと私は思います。

そしてさらに貴重だなと感じているのが「人々との出会い、そしてつながり」です。今では世界45カ国以上に友人がいる私ですが、アメリカに行くまでは外国人の友達など一人もいませんでした。たくさんの国からやってくる留学生やアメリカ人の友人から毎日の生活の中で異文化を知ることができるのは、留学の醍醐味のひとつだと思います。印象に残っているのはハーバードで出会った友人たちです。勉強量が非常に多く、とてもハードな一年でしたから、彼らの存在は単なる「友達」というよりもむしろ「仲間」「戦友」「同志」という言葉で表すほうが的確でしょうか。本当は、入学するまでハーバード生というと怖そう(超勉強熱心でクールな感じ)なイメージがあり、受験して思いがけず合格した私が行くべきところではないのではないかと思っていたのです。しかし、そんな不安は完全に見当違いでした。みんな「普通」の人なのです。くだらないことで大笑いもするし、失敗もするし、恋愛もするし、スポーツにも夢中になるし、課題の提出日の前は憂鬱になります。留学中、「生まれ育った場所・母国語・習慣が違っても心を通じ合わせることができるのだ」という実感ほど、あたたかい感動を与えてくれたものはありません。卒業して学校を離れても、地球上の色々な場所に自分のことを思ってくれる友人がいるというのは、想像以上に素敵なものです。

修士・博士課程での留学を目指すのならば

学部課程を卒業後に海外、特にアメリカで修士・博士課程に進学することを考えていらっしゃる方に、経験者の立場からぜひアドバイスしたいことがあります。一つは、自分の歩んできた道に筋を一本通すことの大切さです。アメリカでは学部課程で勉強中に専攻を変えるのは難しくありません。現に、私も国際関係から心理学に変えた一人です。でも、そのあとに大学院に進学する意思が少しでもあるなら、何か一つ、自分の歩いてきた道筋にテーマと言えるべきものを持っているべきです。大学院受験の要の一つにStatement of Purposeというのがあり、これは自分の歴史と考えをアピールする場なのですが、これを書くときに過去の自分にまでさかのぼり、どうしてこれからこのプログラムで勉強したいのか、そして卒業後には何をしたいのか、を考える必要がでてきます。このエッセーを書き始めるときまでに、勉強以外のことでも授業に関することでも、自分の経験してきたことのエピソードの数々がどこかでつながっていて、それが今の自分を作り上げたのだということを言えるようにしておくことが大切です。私の場合、自分の留学生としての苦労・失敗談や、友達やライティングセンターの方々とのふとした会話などのエピソードをたくさん織り交ぜながら、それらがのちに英語教育と国際理解教育を学問として勉強したいと思うきっかけになったのだ、と主張しました。

また、「話題の引き出しが多い人」を目指して、学部課程に在籍している間にいろいろなことに積極的に取り組んでみてください。大学院に進学するような人の多くが、学部時代にstudent organizationでリーダーをしていたり、珍しいボランティア経験があったり、重要なプロジェクトを教授と研究した経験があったり、何かしら周りの多くの学生とは違う経歴をもっています。レベルの高い大学院であればあるほど、そういった変わった人材に興味を持つものです(なぜなら、多様なバックグラウンドを持つ学生をキャンパスに集めたいからです)。私も、student organizationを立ち上げその代表を務めたり(留学生としてアメリカ人の学生たちを引っ張るのは、予想通り、簡単ではありませんでした)、学部2年生の夏にイギリスのケンブリッジ大学にさらに留学したことなどを書きました。もちろん、学部課程と修士・博士のプログラムの分野が同じならば、学部時代に研究経験を積んでおくことはとても有利になると思います。私も幸い心理学の研究室でアシスタントをしていたので、研究のプロセスが似ている教育学という分野ではそれが大きなアピールになりました。

第三に、普段から困難だと思えることにも果敢に挑戦し、最後までそれをやりぬいてみてください。授業でAを取り続けることや、グループの代表を長期間務めること、ボランティアを続けること、スポーツや芸術の分野で腕を上げること・・・そういったことのすべてが、自分に自信をもたらしてくれるだけでなく、「努力できる」学生である、という証明になります。そしてその証明は、大学院を受験するときに最も強みになることの一つだと私は思います。なぜなら、受験生を選考する入試委員会の先生方は、大学院を卒業するには課題やプレッシャーに追われつつ最後にはそれに打ち勝つ力が必要不可欠だと知っているからです。そしてその戦いを制する一番の力こそ、努力家であることなのです。

そして、最後にもう一つ。自分自身の可能性を信じてください。一生懸命やっても自分には無理なんじゃないかと思ったり、どうせ叶うわけないと、はなから行動を起こさない人がたまにいますが、それが一番もったいないと思います。私は修士課程では言わずと知れたハーバード大学、博士課程では分野で全米一位のウィスコンシン大学マディソン校を受験しましたが、受験することを話したとき「まさかあなたがそんないい大学に合格できるの?」という反応をする人も周りにたくさんいました。でも、結局はやってみないとわからないのです。やれることはすべてやりきり、適当に頑張ったことなんて何もないと自信をもって言えるほど物事に全力で取り組み、そして自分の今までの人生とこれからやりたいことを見つめてその中に一筋の道を見つけることができたならば― 手が届かないと思っている修士・博士プログラムこそ、自分にふさわしい居場所になっているかもしれません。


最後に


海外の大学院に進学するということは、本当に大きな決断ですし時間面でも経済面でも「賭け」だと思います。たくさん努力をしてようやくつかんだ合格であり勉強できるチャンスだとわかっていても「本当にこれでいいんだろうか。本当にこの留学が自分のためになるんだろうか」と不安になることもあります。それでも海外で勉強することを選ぶのは、それをとおして世界が広がり、自分がさらに人間的に豊かになれることを、これまでアメリカで過ごしてきた日々が教えてくれたからです。あなたも、ぜひ留学に挑戦してみたことのない世界をのぞいてみませんか。将来あなたも留学することになったときには、お互い精一杯頑張りましょう!



著者略歴:若菜友子(わかなともこ)
2006年より米州立アーカンソー大学に進学。2年次には英国ケンブリッジ大学に留学し、2010年春に心理学をsumma cum laudeで卒業。同年8月より ハーバード大学教育学大学院の修士課程で心理学と人間発達を専攻し、第二言語教育と国際教育について心理学的アプローチから学ぶ。2012年秋からはウィスコンシン大学マディソン校でカリキュラム&指導学部の博士課程に在籍中。

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2013年10月23日水曜日

宇宙工学への憧れから

America Expo(9/21)で配布した冊子「カガクシャネット 海外実況中継」より


2. 「 宇宙工学への憧れから 」 (P4 - 5)


(アラバマ大学・航空宇宙工学・高橋大介)


留学を決断した理由

・宇宙工学への憧れ

私がアメリカ留学を決断した理由は、14歳の時に”今後人類は地球を離れ、火星に移り住む”というテレビ番組に感銘を受けたことです。その時から宇宙開発に携わるという強い思いが芽生え、宇宙開発で最先端の研究が行われているNASAがあるアメリカで航空宇宙工学を学ぼうと決意しました。
また、将来不可欠であると考えた英語を早い段階で習得できると思い、大学院からではなく、大学からの学位留学を決断しました。

・留学に対しての不安

「高校卒業後すぐ留学することに不安はなかったの?」などの質問を多々受けました。「全くありませんでした」というのが私の回答でした。自分の夢を追いかけて、アメリカで学びたいことを学べるなんて、これ以上幸せなことはありません。当時私の頭の中には”アメリカの大学・大学院卒業後、英語を流暢に話し、NASAで宇宙開発の仕事をしている自分”のイメージしかありませんでした。英語も生活も現地に行けばどうにかなるだろうと思っていたため、不安は全く感じませんでした。自分の夢を追いかけていた結果が、留学という行動に現れたのだと思います。

アメリカでの学生生活

・学業

私は大学付属の英語学校で、約9ヶ月間英語を勉強し、大学の授業を受講しましたが、大学の授業を受講し始めたころは、先生の説明や他の生徒の質問などが聞き取れないことが多々ありました。大学1年時に受講する数学や物理などは、既に日本の高校で学んだ内容であったため、内容は理解出来ましたが、経済学、美術、地理など理系以外の科目については授業についていくのに苦労しました。そのため、授業の予習・復習には膨大な時間を費やしました。しっかりと予習・復習を行い、授業に臨むことで、理解が少しずつ深まり、不安も解消されていきました。特に大変だったことは、数百ページある分厚いテキストを読み込むことでした。日本語であれば、それほど時間はかからないはずなのに、英語になると知らない単語が多く、一回分の予習が一苦労でした。

その時思ったことは、“アメリカ人と同じフィールドで勝負しようと決断したのは自分自身である。語学力が不足しているということは割り切り、アメリカ人の何倍も努力すれば、授業に問題なくついていけるはず。”その後は、予習・復習に時間はかかるものの、こつこつと予習・復習を繰り返すことで、授業での理解度も増しました。

大学の1,2年時には各自で課題をこなす事がほとんどですが、3,4年時にはグループで課題やプロジェクトを行うことが増えました。グループで課題に取り組むことで、メンバーの様々な意見や考え方、英語での自分の意見の伝え方、コニュニケーションの取り方など、非常に多くの事を学びました。特に、コンピュータープログラミングと航空力学実験の授業ではグループプロジェクトが多く、困難な課題が多かったため、メンバー皆で、問題解決という目標のために、考え、議論し、悩み、正解を導き出した時の嬉しさは印象的でした。

・勉強する環境

私が通っていたアラバマ大学の図書館は、分野別に5つの図書館があり、各種論文が豊富に取り揃えられており、たとえアラバマ大学の図書館に目的としている論文がなくても、他大学から借用できる仕組みが整えられていました。通常時は7:30~24:00、期末試験中は24時間開館しているため、勉強をするには非常に良い環境でした。

また、学科には24時間使用可能なコンピューター室が備えられており、授業の課題をはじめ、グループプロジェクトなど行う際に頻繁に活用しました。

先生方も生徒の質問に対し快く、丁寧に回答をしてくれ、各授業においては、先生がOffice Hourという生徒が質問できる時間を週に数時間設けています。先生によっては事務所のドアを開放している方もおり、質問をしやすい環境が整っていました。

学期ごとの最後の授業では、生徒が先生の評価を行うシステムがあり、生徒からのフィードバックが次回の授業に反映され、授業の質が向上するよう、大学側も務めています。

・研究

日本の大学の研究室は3年生からというのが基本になっているかと思いますが、アメリカの場合は自分次第で2年次から研究を始めることができます。私が研究室に配属になったのは、学部2年生の時でした。流体力学を受講している際に、当時の教授に勧められ、CFD(数値流体力学)という主にコンピュータシュミレーションを行う研究に1年間従事しました。そして、3年時には新任の教授のもとで、発光塗料を用いた圧力・温度・歪の検出方法の研究・開発を行いました。2年生という早い段階で研究を始め、一つでも多くの研究分野に触れることで、自分の興味がある研究分野を見つけることができ良かったと思います。早く行動したことで、研究分野を選択する際に、より有利な選択ができたと思います。

各研究分野で様々な学会があるため、研究発表の機会は豊富にあります。学生によっては3年生から発表する方もいます。私は大学4年時及び修士1年時にそれぞれ学会で研究を発表しました。4年時には学生部門の学会で、歪の検出方法について発表し、準優勝をしました。日々の地道な研究の積み重ねが、評価された瞬間でした。

私が所属していた研究室は、教授のもとに3名の大学院生しかおらず、規模の小さい研究室でした。(大学によっては1つの研究室に数十名の学生が所属している研究室もあります。)そのため、教授への質問・相談は頻繁に行うことができ、研究の方向性についても随時確認することができ、教授と密な関係を築くことができました。家族ぐるみでお付き合いをさせてもらい、今でも良好な関係が続いています。

・部活動

学業・研究以外の分野にも幅広く挑戦してみたいと思い、大学4年時にトライアスロン部に入部しました。高校でトライアスロンや陸上競技をやっていたわけでなかったため、一からのスタートです。朝の練習は6:00から水泳の練習、放課後はランニング・自転車の練習を行いました。トライアスロン部のメンバーは皆学業にも真剣に打ち込んでいたので、部活が忙しいから学業をおろそかにして良いという考えはありませんでした。逆に、皆学業で忙しい中、練習の時間を上手にとって試合でも結果を残すメンバーが多かったため、私自身、以前より忙しくなりましたが、時間の使い方が上手になりました。

なんといっても友達の輪が広がったことが良かったです。練習や試合中、お互いに声を掛け合い切磋琢磨し、遠征を通しチームとして行動するため、強い絆が生まれました。

・私生活-

充実した学業・研究・部活動に加え、私生活でも負けないくらい充実した楽しい学生生活を送ることができました。アメリカの学生はオン/オフの切り替えが上手なため日曜日の午後から金曜日までは学業に励み、週末はリラックスや思いっきり遊ぶという生活スタイルです。週末は友達と映画を見たり、ホームパーティに参加したり、大学のスポーツ観戦に活きました。特にフットボール部は、地元の根強い人気と、2010年、2012年に全米チャンピオンに輝いたという実績があり、ホームで試合があるときは、大学周辺がフットボール観戦者であふれ、通行止めになる道路もあるほどで、とてもにぎやかです。日本で言うならば、コンサートやライブからの帰りか、大きな花火大会に行ったかのような人ごみです。フットボールスタジアムは約10万人を収容でき、試合中はスタジアムが揺れているかのように感じられるほどの応援で、日本では経験できないほど熱狂的な応援を体感しました。

ハロウィン、クリスマス、ニューイヤーパーティーなど季節によって様々なパーティーがあり、日本にいては味わえない特別な経験をしました。

・奨学金

アメリカの大学には充実した奨学金制度があります。アメリカ人向け、アジア人向け、各専攻向けなど種類は様々で、日本人学生が応募できる奨学金も数件あります。私は学部時代に小額の奨学金を数件、大学院時代に授業料・生活費全てを賄ってもらえる奨学金を取得しました。その時に感じたことは、アメリカは将来、可能性のある学生に惜しみない投資をするということでした。結果には厳しいアメリカ社会ですが、結果さえ残せば、平等に評価してもらえ、機会を提供してくれるのです。返済不要の奨学金に恵まれたアメリカの大学では、学生時代の努力が、経済面でも報われることになります。

・ユニークな仕組み

アメリカの大学には様々なユニークな仕組みがあります。日本の大学は4年間で卒業、4年次に卒業研究というのが基本になっているかと思いますが、アメリカの場合は全て自分次第です。

まず、アメリカでの研究については、RA(Research Assistant)というポジションがあり、教授の判断で生徒を雇えるため、学生自らアピールすることで、2年時から研究に参加でき、3年時に研究発表できる機会があります。上記に述べたように、私は2年次から研究に関わらせてもらいました。

第2に、卒業までの期間です。アメリカの大学は卒業単位を取得すれば卒業が可能であるため、2年で卒業する学生もいれば、インターンシップをおりまぜ、5年で卒業する学生もいます。私は大学・大学院とアラバマ大学に通っており、学部4年時から学部の授業と並行し修士の授業を履修したため、学部卒業後1年間で修士課程を終了することができました。学部4年時に周りの学生より多く授業を取り、修士論文の準備をはじめなければならなく、学業・研究に追われる日々が続きましたが、その努力が報われ、修士課程を1年で終了することが出来ました。

また、インターンシップに参加し、授業で学んだことを、実践を通し活用する事ができます。その他には、必須科目でも十分に知識があれば、試験のみ受け、単位を取得できる仕組みもあります。以上のように、アメリカの大学では生徒の目標・努力次第でいかなる方向にも進むのです。

卒業後のキャリア

私は2008年に修士課程を終了し、現在は日本で航空機エンジンの製造/整備の仕事をしております。留学前の夢である”宇宙開発に携わる”業種ではありませんが、幸運にも、留学中に身につけた航空宇宙工学の専門知識及び英語を十分に活用できる環境で仕事をしています。様々な国の方々と接し培ったコニュニケーション能力や、何もかもが初めての経験の中で学んできた適応能力は、今後国境をまたいで仕事をする機会が増える中では、より活かされるでしょう。

今後留学を目指す方々へのメッセージ

2002年3月に渡米した際は、片言の英語しか話せず、スーパーでの買い物すら一苦労で、一日一日を生きていくことが日々の挑戦でした。そんな私が2007年に行われた学生部門の学会で研究発表を行い、準優勝し、2007年、2008年には全米大学トライアスロン選手権大会に大学代表とし出場することができました。ここで皆さんにお伝えしたいことは、人間やれば何でもできるということです。目標を持ち、努力をし続ければ、必ず報われ、実現します。

みなさんも一度きりの人生、夢に向かって挑戦しませんか。

“Try Hard, Work Hard, Believe Hard, then Dreams Come True” 6年半のアメリカでの留学生活が私に教えてくれたことです。


著者略歴:高橋大介 (たかはしだいすけ)
2002年3月に高校卒業後、渡米。米州立アラバマ大学(University of Alabama, Tuscaloosa) 付属の英語学校で 9ヶ月間の語学研修を経て、2003年1月にアラバマ大学に入学。専攻は航空宇宙工学。2007年5月にsumma cum laudeで卒業、翌年の5月に同専攻で修士課程 修了。研究内容は発光塗料を用いた非破壊検査の開発。2008年10月より、国内大手機械メーカーにて航空機エンジンの整備/開発の生産技術に従事。

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2013年10月9日水曜日

研究者へのステップとしての学部留学のススメ

America Expo(9/21)で配布した冊子「カガクシャネット 海外実況中継」より


1. 「 研究者へのステップとしての学部留学のススメ 」  (P1 - 3)

(オックスフォード大学・計算神経科学・江口晃浩)



「将来研究者を目指す人にとっての留学」と聞くと、海外の大学院へ学位取得を目的とする「学位留学」が一般的には想像され るのではないでしょうか。早くから留学を意識している学生であっても「留学は日本の大学を出てから」という常識に囚われて、「学部からの留学」という選択 肢には目も向けられさえしない場合が多いようです。それは、留学に関する情報を収集していても、「学部留学」と「学位留学」とは明確に区別されて語られる ことが殆どであるからでしょう。また仮にこの選択肢を考慮したとしても、日本の大学で十分な学部教育を受けられるにもかかわらず、あえて海外に出る必要性 が見えてこない、という方も多くいるのではないでしょうか。そこでここでは、「研究者へのステップとしての学部留学」という選択肢に焦点をあてて、学習環 境、専攻の自由度、英語力の習得に関するの大きなメリットについて紹介したいと思います。

1. 学ぶモチベーションを引き出す最高の環境がある

ア メリカの大学キャンパスで人と知り合った時、名前の次に聞かれることは、決まって「あなたは何を勉強していますか。」という質問です。これは、アメリカの 大学生の生活が、いかに学問を中心に回っているかということを示唆する分かりやすい一例ではないでしょうか。大学という場は高等教育を受ける学び舎である ことを考えればこれは何ら驚くべきことでもないのですが、日本の大学から交換留学で訪れる学生の多くはこの質問には戸惑うようです。しかしこの「大学=学 問の場」という共通認識こそが、学生に「勉学に励む」という空気を作らせ、努力する人を評価する仕組みを生み、そしてそれぞれが自分の可能性に挑戦するこ とのできる最高の環境を形成しているのです。

勉学に励むという空気

アメリカの大学キャンパス を歩いてみると、「まさにここは大学」という空気を容易に感じ取ることが出来るはずです。鞄が破れてしまうほどの重くて大きな教科書を何冊も背負ってキャ ンパスを行き交う学生たち。ノートパソコンを片手に小走りで教室に向かう学生たち。図書館に入れば山のように論文を積み上げて頭を抱えながら蛍光ペンを走 らせる学生たち。カフェテリアでは単語帳と睨めっこしながらハンバーガーを頬張る学生たち。彼らは「受験生」ではなければ、期末試験が迫って慌てて勉強に 取り組む学生でもありません。これがアメリカの普通の大学生活なのです。これは何もアメリカのトップの大学だけの話ではなく、国内で100位前後程度に評 価されている大学であればどこでも見られる一般的な光景なのです。

ソニーの創業者、盛田昭夫氏は、彼の著書「MADE IN JAPAN」の中でこう書いています。「日本の学生が大学では殆ど勉強しないというのは、我が国の悲しむべきジョークである。猛烈な勉強のあげく、いった ん目指す大学に入ると、若者達はもう人生のゴールに達したかのような気分になる。疲れ果てて、それ以上勉強する意志も残っていなければ必要も感じない。」 もちろんこのような環境にあってもしっかりとした目標を持って勉学に励む学生は沢山います。しかし、周りで多くの学生が「サークル」「飲み会」「バイト」 と大学生活を「謳歌」しているのを横目に、ひたむきに勉学に取り組むということは必ずしも容易なことではありません。そういう意味で、コミュニティ全体で 「勉学に励む」という空気のあるアメリカの大学は「勉強をしたい」人にとっては一つの良い選択肢になり得るのです。

努力する人を評価する仕組み

更 にアメリカでは、「頑張ること」に対するインセンティブがあらゆる方向から与えられます。例えば多くのアメリカの大学において、「オナーズプログラム」と いう「挑戦したい人」に対してより難易度の高いカリキュラムを用意する仕組みが存在します。それは主に、比較的入試の容易と言われる地方の州立大学等にお いて、優秀な学生や意欲の高い学生を正当に評価するために用意された仕組みと考えて良いでしょう。オナーズプログラムは一般学生の為のカリキュラムに様々 な課題を上乗せすることで、どんなレベルの学生にとっても大学生活が無駄になることの無い環境を与えます。そして、卒業時にはその成果に応じたLatin honorという称号が授与され、これは大学院進学や就職においても大きな意味を成すようになります。従って多くの学生はそれを目指して、自ら進んでこれ らの厳しい選択肢に挑戦するのです。

また「出る杭を打つ」という風潮のないアメリカの大学では、学生の成果に対して積極的な評価・表彰が 行われ、校内外に向けた広報にも力が注がれます。その対象は、校内で開催される学術的なコンテストでの受賞者から、学会で表彰された学生、奨学金やNSF 等からの研究費を獲得した学生、全国レベルの賞の受賞者など様々です。そしてこれらの成果は学校のウェブサイトや校内新聞などに限らず、地元のメディアで 紹介されることも珍しくはありません。例えば、学部を主席で卒業することが決定した時には「この成果を広報したいので、あなたの出身地の新聞社やテレビ局 の連絡先を教えて下さい」と連絡が来たほどに、彼らは一人一人の学生の成功を全体で祝福し応援していこうという体制を整えているのです。もちろん、そのよ うな文化に慣れない日本人にとっては「そんな事をされては恥ずかしくて仕方がない」と思うかもしれませんが、その広報を通じて久しく会っていなかった友達 や教授からメールを通じてお祝いの言葉などを貰うと、やはり温かい気持ちになって次の挑戦へのやる気が湧いてくるものなのです。

この様に アメリカの大学の「大学は勉強をする場だ」という学生間の共通認識は「学びたい」という意欲を持つ学生を容易かつ快適に勉学に専念させる環境を与え、オ ナーズプログラムの様な仕組みがそのやる気をしっかりと受け止める手段として用意されます。更に、その挑戦の成果を評価し広報していく仕組みも充実してい ることが、学生に頑張ることを促し、結果として将来研究者を目指す学生も重要な学問の基盤を形成することが可能となるのです。従って、研究者へのステップ としての学部留学は、考慮される価値のある選択肢の一つなのです。

2.本当に研究したい分野を見つけるための自由が専攻選択にある

学 部における専攻の概念は、日本とアメリカの大学を比較する際のとても大きな違いの一つです。例えば「将来脳科学者になりたい」という夢を持っている学生が いたとします。しかし「脳科学」というのは生理学、生物学、物理学、生化学、心理学、医学など様々な分野を包括する学問を指します。従って、その学生は日 本の大学に進学するのであれば、出願の時点で彼・彼女の限られた知識から重要な専攻の決断を迫られることになるのです。一つの学問を究めるということだけ に目をやればこれは確かに利点となりますが、「この分野の研究に身を投じたい」というような研究者にとって非常に重要な動機の探求の機会を奪いかねないと いう側面もあります。こういう視点で考えると、アメリカの大学における入学時の専攻選択は日本におけるそれと比べて非常に柔軟なものです。アメリカの大学 では、学生は専攻を容易に変更することが出来、またダブルメジャーやダブルディグリーの修得を目指すという選択肢も与えられます。従って、まだ自分の本当 の興味が定かで無い学生、複数の分野に及ぶ興味を持つ学生にとっては、アメリカの学部留学はとても大きなメリットが有ると言えます。

容易な専攻の変更

ア メリカの多くの大学において、入試は大学に入れるか入れないかを決めるものであって、日本のように特定の大学の特定の専攻を受験するという形式は取られま せん。従って入学時に登録した専攻は「大学でこれを学びたい」という意思表明程度の意味合いしか持ちません。ですから専攻を変更する為に特別な試験を受け る必要はなく、書類提出のみで容易に専攻を変更することが可能な場合がほとんどです。また、自分の専攻として申請している分野以外からの単位履修も可能で ある場合が多く、途中で専攻を変えることを決意してもその申告のタイミングにはかなりの自由がききます。

また、アメリカの大学の教育のシ ステムを見てみると、カリキュラムの前半はどの専攻においても、数学、英作文、歴史、政治、物理、化学などの一般教養クラスの履修が求められるため、その 期間に専攻を変えたとしても卒業時期への影響は最小限に抑えられます。従って学生は最初の1年目や2年目に興味のあるいくつかの専攻の入門コースを履修し 感触を得てから、最終的に本当に興味のある専攻を選択することも可能なのです。この様に、入学の時点ではまだはっきりと自分のやりたいことが見えてない学 生にとっては、この仕組みはとても良い熟考の機会を与えてくれるのです。

ダブルメジャーとダブルディグリー

更 には、interdisciplinaryとよばれる異なる学問分野にまたがる領域が華やかな今、専門領域の合間に様々なチャンスや面白みが眠っていま す。そういった領域にアプローチをする方法として、アメリカの大学では前述した柔軟な専攻選びに加えて、複数の分野を同時に専攻するダブルメジャーや、複 数の学位の同時修得を目指すダブルディグリーなどという選択肢も与えられます。アメリカの大学の学位は主にBachelor of Science (BS)とBachelor of Arts(BA)の二種類に分けられます。日本語ではそれぞれ理学士・文学士と訳されることが多いのですが、これは日本で言う理系・文系の区切と言うより は、B.S.を「自然が作った物や法則に関する学問」(例:物理・化学・数学)、B.A.を「人間が作った物や規則に関する学問」(例:法律・歴史・政 治)との区別と考えるほうが適切です。従って、例えば生物学や心理学は多くの大学でB.S.とB.A.の両方の学位が選択肢として与えられますが、 B.S.の場合は「自然現象の探求の手法としての学問」であるのに対し、B.A.の場合は「それによって体系化された分野の知識を学ぶ事に焦点が当てられ た学問」となるわけです。

ダブルメジャーとダブルディグリーの難しさの違いは、修得必須単位数にあります。例えば、コンピュータ工学 (B.S.)と電気工学(B.S.)のダブルメジャーを例として考えた場合、プログラミングや電気回路などの多くの単位が2つの専攻で重複するため比較的 修得必須単位数の増加を抑えることができます。しかし一方で、数学(B.S.)と歴史(B.A.)のダブルディグリーなどを例にあげると、一般教養課程以 外に重複する単位が全く存在しないために、卒業のために相当多くの単位を履修する必要性が出てくるわけです。しかしこれは同時に、その覚悟さえあればどん な専攻であってもいくつでも自由に専攻することが許されているというアメリカの学部課程の柔軟性を示しているのです。

アメリカの学部留学 という選択肢は、学生に様々な分野を体験するという機会を与え、本当に自分がやりたいものを明確にする手段を与えてくれます。初めに選んだ専攻に縛られる 必要はなく、また必要とあらば複数の専攻で学ぶことも可能にし、更には学位を超えた全く異なる複数の専攻で学ぶことさえも、全てが自分次第なのです。アメ リカの学部留学を経験し、こういう過程を経て自分で分野を選択するということは、将来研究者として活躍するための強い武器となるのでしょう。

3. 英語を大学生活を通して学べる

日 本人にとって海外留学の一つの大きな障壁となっているのは英語です。アメリカの大学に進学するためには、留学生は英語能力の証明のために基本的に TOEFLのスコア提出を求められます。大学院受験においては、更に難易度の高い英単語の試験を含むGREのスコアの提出も求められます。大学院生活が始 まると、毎日気の遠くなるような英語の論文の山と対峙することとなり、研究発表や論文執筆においても高い英語のスキルが求められるようになります。これら のことを考えた場合、学部留学で学術的な英語に十分慣れ親しんでおくことは、大学院受験や、進学後の研究過程において大きな強みとなります。

入試における英語試験

学 部留学をする際においても、英語能力の証明のためにTOEFLのスコアの提出が求められます。しかしそのスコアは、大学院受験において求められるものより も全体的に低く設定されている傾向があります。更にGREは大学院受験のための試験であるため、学部留学を目指す人に求められる英語力は学位留学を目指す 人に求められるそれと比べて格段に低いものとなります。加えて多くの大学の学部課程においては、付属の語学学校のカリキュラムを優秀な成績で修了すること でTOEFLのスコアが足りなくても入学を認められる仕組みも用意されています。従って学部留学の場合、留学のために国内で「英語」という科目を自分の専 門分野とは別個に集中的に勉強する必要性は比較的少ないのです。

また、アメリカの学部課程を修了することで、殆どの大学院の入試において 英語能力証明のための試験のスコアが免除されることとなります。GREに出てくる単語は日常会話では出てこないような難易度の高いような物が多くあります が、アメリカの大学で数年英語漬けになっている学生にとってみればその勉強の効率の良さにアドバンテージがあります。更に、アメリカの大学院進学において は推薦状がとても重要視されるのですが、その推薦状を教員にお願いする際には、多くの日本人教員と違い「留学先ではどの教員も英語を流暢に使いこなせる」 ということは大きな利点となります。自分と良い関係を保っている教員であれば誰もが喜んで引き受けてくれるため、出願先に応じて最適な教員に立派な推薦状 をお願いすることがとても容易になるのです。従って、学部留学をすることは、将来の学位留学を考慮した上においても優位に働く可能性があるのです。

英語コミュニケーション力・読解力

そ して学位留学をスムーズに進めるためにも、将来研究者になって世界で認められるためにも欠くことが出来ない能力は、英文を読む能力や書く能力、プレゼン テーションで伝える能力や会食でのコミュニケーション能力など、「ツールとしての英語力」です。これらの能力は、一部の卓越した語学力を持つ人々を除け ば、ひたすら経験を積むことで漸く身につけられるものです。アメリカの学部における一般教養課程の中には、英作文、コミュニケーション、プレゼンテーショ ンなどというものが含まれます。日本語と英語とでは良いとされる文章の構成も、良いとされるスピーチの構成も大きく異なってくるため、これらの授業で教え られる知識や経験は英語力の基盤を築くためのとても貴重なものとなります。学部の段階から留学をし、アメリカの学部生と一緒になってそれらの基礎を学び始 めるということは、将来彼らと同じ土台に立つ為にはとても有益なことでしょう。

更にアメリカの授業では、授業内のディスカッションや、論 文執筆課題が重視されます。授業中に発言を求められて答えられない場合や、わかりづらい論文しか書けなければ容赦なく成績は削られていきます。一方で教授 はその度に的確なフィードバックを学生に与えるために、彼ら彼女らはその経験を通じて学んでいきます。このように学生に常に危機感を持たせ学ばせること が、彼ら彼女らの自分の意見をまとめて発言したり文章にする能力を鍛えていくのです。そして、これは留学生にとっては「ツールとしての英語力」向上のため には格好の練習の場となるのです。このような経験は、彼ら彼女らが後に研究者としてのキャリアを積んでいくための強固な土台に成りうるのです。

こ れらのことが示唆することは、「自分は英語できないから留学なんて出来ない」と感じている人ほど、学部留学をする価値があるという事です。研究者に必要と なる英語は、言語学としての英語ではなくツールとしての英語です。そしてその習得のためには、学部留学は一つの価値のある選択肢と成りうるのです。学部入 試に求められる英語力は大学院入試に求められるそれと比べて容易なことと、学部生活を通じて固められ得る英語力の基盤を考慮した場合、学部留学は効率的に 研究者へのステップアップを目指すための一つの有効な方法でしょう。

「何故研究者を目指したいのか。」そう聞かれたら、あなたはどう答え るでしょうか。「勉強することが好きだから?」「本当に好きな事を探求したいから?」「世界で認められる人になりたいから?」アメリカの大学への学部留学 は、「大学は勉強をする場」という共通認識を持つ多くの学生に囲まれて、心ゆくまで勉強をできるというとてもよい環境を与えます。そして、大学の自由な専 攻の仕組みは、様々な専攻分野を経験することを可能にし、ダブルメジャーやダブルディグリーを通じて見地を広げ本当に興味のある分野を探求することを可能 にします。更に、学部課程のカリキュラムを通して身につけられる「ツールとしての英語力」は、将来研究者として世界中の人々と堂々と意見を交わし合うこと に必要な能力の基盤を築くことになります。一般的に「学部留学」と「学位留学」とは全くの別枠として語られますが、研究者を目指す学位留学のステップとし ての「学部留学」という手段もあるということをこの文章を通じて伝えることができたのであれば幸いです。


著者略歴:江口晃浩(えぐちあきひろ)
豊田高専情報工学科在籍時にAFSを通じてオレゴン州の高校で一年間の交換留学を経験。帰国後高専を三年次課程修了時に中退し、2008年秋より米州立アーカンソー大学(フェイエットビル校)に進学。2011年春にコンピュータ・サイエンス(B.S.)を、2012年春に心理学(B.A.)を、共にsumma cum laudeで卒業。2013年 秋より英国オックスフォード大学大学院で計算神経科学の研究で博士号過程に在籍中。ブログ「オックスフォードな日々

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